『アウト・オブ・ザ・シャドウズ』【カノン小説】〈かつての苦悩と新たなる苦悩〉

カノン小説
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スカイウォーカーたちの物語を遡ること約200年・・・。

銀河に生きる人々に平和と秩序をもたらすべく発足した銀河共和国の繁栄に恐ろしい暗雲が立ち込めようとしていました。辺境の脅威に過ぎなかった謎の略奪集団ナイヒルの凶行は日に日に深刻の度を増し、もはや共和国中枢の人々すら無視を許されない銀河的脅威になろうとしていました。

共和国とその守護者ジェダイ騎士団は恐ろしい無法者たちの暴虐を食い止め、銀河に平和と秩序をもたらすことができるのでしょうか? それとも、「銀河に生きるすべての人々に平和と秩序をもたらす」などという考えそのものが誤りであり、思い上がりに過ぎないのでしょうか?

あらすじ:悩める少女たち

銀河共和国は終わりの見えない苦しみに悶えていました。凶暴な未知の種族ドレンギアと結んだ略奪集団ナイヒルはその凶行をエスカレートさせ、共和国議長すら負傷させるほどの暴威を誇る彼らを前に、戦災から立ち直りつつあった人々は再び絶望の淵へと追いやられました。

輸送業で身を立てる少女シルヴェストリ・ヤロウもまた、ナイヒルの襲撃によって頼れる母を失い、若くして己の腕一本で生きて行くことを強いられた人間の一人でした。しかし憎むべき略奪者たちはそんな彼女の最後の希望である持ち船までも強奪。すべてを失い激しい怒りに身を焦がす彼女の前に謎の大富豪ザイラン・グラフが現われ、どこまでも運に見放された少女の運命は思わぬ方向へ向けて動き出して行くのでした。

一方、ナイヒルの脅威への対処に追われるジェダイ騎士団には類まれな逸材が誕生しました。ヴァーネストラ・ロウは17歳という異例の若さで正式なジェダイの騎士に昇格した俊英ではありますが、その心は未だマスターたちの平静には及びもつきません。そして彼女には己の師にすら打ち明けかねる、あるわだかまりを抱えてもいたのでした。

それぞれの激情や葛藤を胸に秘めながら、何者になるにもまだ早すぎる二人の少女を中心に物語は加速度をつけて走り出して行きます。物語の焦点となるのは銀河の片隅に位置するベレンジ宙域。「何もないことが特徴」と言っても過言ではないこの辺境地の何が人々を引きつけたのか、ここで多くの人々の運命が交錯し、ぶつかりあい、火花を散らすことになるのです。

作品背景:過去の亡霊と新たなる展望

本作は映画本編の約200年前を物語る『HIGH REPUBLICハイ・リパブリック』シリーズの邦訳第三弾となりますが、本場アメリカではすでに小説・コミック合わせて同シリーズの作品は膨大な量に及ぼうとしています。

実際、講談社より邦訳刊行された本シリーズ第一弾『ジェダイの光』は紛れもなくシリーズの始点であるとしても、次いでGakkenより邦訳刊行された第二弾『イントゥ・ザ・ダーク』は『ジェダイの光』から数作の未邦訳コミック作品やジュニア小説をはさんだ後の世界を舞台としており、本書『アウト・オブ・ザ・シャドウズ』もまた第二弾から数作の未邦訳コミック作品やジュニア小説をはさんだ約一年後を舞台とする作品となっています。

つまり一つながりの物語であるにも関わらず「ぶつ切り」でしか邦訳されていないことになる本シリーズですが、では本シリーズは未邦訳作品まで網羅しているコアな愛好者しか愉しむことのできない「狭き門」であるのかと問われれば、まったくそんなことはないのです。

まず、本書冒頭に「これまでのあらすじ」が時系列記載されているため初見でも大まかな物語展開が理解できること。次いで各作品ごとに起承転結が完結しており、それぞれが独立した読み物として成立していることが挙げられます。

そして愛好者にとっても、そうでない人々にとっても魅力的なのは本シリーズにおいて『スター・ウォーズ』の「語り直し」と「新たなる風味づけ」が行われていることであり、これこそがわざわざ映画作品の200年前に遡るなどという安易な拡張ともとられかねない舞台設定と物語展開を行う妙味でもあるのです。

本シリーズの主人公たちは政治や戦争指導とは無縁の市井の人々であり、未だ指導的立場にはない若きジェダイたちです。そこで語られる葛藤は国家や組織におけるイデオロギーやジェダイとシスが交わすフォースの両側面についての教義といった高尚なものではなく、個々人の感情に端を発する身近な苦悩であり、政治と戦争に彩られた従来の『スター・ウォーズ』よりも個人的側面にフィーチャーした風合いが最大の特徴であると言えるでしょう。

そして映画諸作品に付随する従来の『スター・ウォーズ』作品は「過去の蓄積」を念頭に置かざるを得ない物語設定となっていました。しかし本シリーズは違います。『ここから始まる新世代むけ「スター・ウォーズ」!』というGakkenによる煽り文句は、単に本シリーズが若者たちを主人公とした若者たち向けの作品であるという意味に留まらず、長大な歴史という名の「過去の蓄積」に囚われることなく未来だけを想って愉しむことのできる、より純粋なエンタテイメントとしての『スター・ウォーズ』の幕開けを告げるという意味でもあるのです。

『スター・ウォーズ』に初めて接する人々はもちろん、『スター・ウォーズ』をよく知る愛好者たちにとってもまた、『スター・ウォーズ』の歴史は再び「ここから始まる」のです。

新旧思議1:ジェダイと共和国

銀河に遍く存在するフォースの「ライトサイド」を奉じるジェダイたちは慈愛を旨とし、その力を銀河に住まう人々を守るために使用することを誓った集団です。しかし圧倒的少数者に過ぎないジェダイたちのみで全銀河を守るなど不可能なので、多数者によって構成され広大な銀河の安全保障を標榜する銀河共和国を守護することで間接的に「銀河の守護者」の役割を担っていると言えるのです。

しかし共和国を守ることと銀河を守ることとがイコールではなくなったとしたら?

共和国に仕えることと、フォースに仕えることとが矛盾するとしたら?

映画作品で語られたジェダイ騎士団の壊滅は、彼らがその草創期から抱える矛盾の爆発でした。狡猾なシスの暗黒卿ダース・シディアスはその矛盾を巧みに突くことで、宿敵たちのほとんどと剣を交えるまでもなく葬り去ることに成功したのでした。

時代の変化に対応することのできなかったジェダイ騎士団の面々ですが、しかし彼らはクローン戦争とそれに付随する政変の数々に際して初めてその矛盾に気付いたのでしょうか?

いえ、彼らの活躍を遡ること約200年前、本作の時点ですでにその矛盾は明らかになっていたのでした。既に多くのジェダイはフォースに仕えることと共和国に仕えることの差異に思いを馳せ、あまりにも近くなりすぎた騎士団上層部と共和国元老院の関係に違和感を隠し切れないでいることが明らかになって行きます。

ならば変わり行く時代を迎えても倒れることのなかった共和国最盛期のジェダイ騎士団と、共和国末期のジェダイ騎士団とでは何が違ったというのでしょうか?

新旧思議2:師と弟子

本作の主人公の一人であるヴァ―ネストラ・ロウは前述のとおり若くしてジェダイの騎士へと昇進した稀有な逸材ではありますが、その心に多くの葛藤を抱える悩める少女でもあります。

そんな彼女がもっとも心を悩ませているのはほぼ同年代といってもよい弟子イムリ・カンタロスの指導方針をめぐる問題です。優れた弟子ではあるイムリですが、彼には「過共感」とでも呼ぶべき、周囲の人々の感情をあまりにも敏感に感じ取ってしまう能力があり、自らのなかに流れ込む他者の感情の洪水に呑み込まれてしまうことが往々にしてあるのです。

偉大な先達たちのアドバイスや往年のジェダイたちの記録を頼りに弟子のフォローに努めるヴァ―ネストラですが、押し寄せるナイヒルの脅威はそんな彼女ら師弟から心穏やかに修行に取り組む時間を奪い去って行くのでした・・・。

早すぎる弟子の育成に心悩ませるヴァ―ネストラの屈託は、彼女と同じく騎士昇進と同時に規格外の弟子アナキンの育成に四苦八苦したであろうオビ=ワンを彷彿させ、またイムリの「過共感」ぶりはHSP(Highly Sensitive Person)をはじめとする「繊細さ」を持て余す現代人を思わせるキャラクターと言えるでしょう。往年のキャラクターの風味と現代人的懊悩を併せ持つ彼女ら師弟の行く先には、いったい何が待ち構えているのでしょうか?

新旧思議3:母と子

本作のもう一人の主人公であるシルヴェストリ・ヤロウもまた、往年のキャラクターの風味と現代的懊悩を併せ持つキャラクターと言うことができるでしょう。己の腕一本を恃み、あらゆるものを利用してでも独力で道を切り開こうとするバイタリティあふれるシルヴェストリの姿はレイアやパドメ、レイをたちが代表する「戦うヒロイン」の典型です。

しかし「戦うヒロイン」である彼女は同時に「恋するヒロイン」でもあり、一度は袂を分かちながらも消し難い想いを寄せるのは同じく女性のジョルダナ・スパークバーン。物語展開やロマンスにおいて正統派かつ保守的な傾向の強かった『スター・ウォーズ』にも現代的価値観が流入し、多様な価値観を持つキャラクターの創造につながっていることを如実に語る存在と言えるでしょう。

もちろん彼女は多様な価値観を表すだけのキャラクターではありません。物語冒頭で彼女からすべてを奪ったナイヒルでしたが、その襲撃方法は異様なものでした。なぜならハイパースペースを航行していたところを強引に引き戻されるという前代未聞の手口であったからです。

その手口にただならぬ関心を抱くのが首都コルサント有数の大富豪でありかつてハイパースペース航路の開拓者一族として名を馳せたグラフ家の御曹司ザイランでした。自分を情報源として都合よく利用しようとするザイランに反感を募らせながらもその莫大な富を再出発の糧にしようと目論むシルヴェストリでしたが、彼の口からは意外な事実が語られます。

殺されたはずの母は生きている。

にわかには信じがたい母の生存、そしてシルヴェストリのまったくあずかり知らない一面を持っていたと思しき母の姿を匂わすザイランの言葉は彼女を操るための嘘なのか、それとも・・・。

新旧思議4:光と影

「暴力を否定しつつも暴力に訴えるざるを得ない戦争状態において、ジェダイはどうやって己の本分を保つのか」というテーマを持つ点で本シリーズにおけるナイヒルとの戦いと、映画シリーズにおけるクローン戦争は似ています。

しかし共和国の腐敗に端を発し、シスの謀略の果実という背景を持つクローン戦争の惨禍よりも、古代世界における蛮族侵入を彷彿させるナイヒルがもたらす災厄のほうが、複雑な背後関係を理解する必要がないだけ理解も感情移入も容易でしょう。人々の苦痛に思いを致すことなく欲望の赴くまま略奪を繰り返す野蛮な集団。それが第一作から続くナイヒルのイメージでした。

しかし本作において徐々に異なる一面が垣間見えて行くことになります。古今東西の文明社会を蝕んだ「蛮族」たちもまた、それぞれ已むに已まれぬ事情に駆られて残虐を行ったように。そして蝕まれている文明社会にも「蛮族」たちと結び己の都合の良いように利用した人々が存在したように。そして往々にして「蛮族」の存在そのものが、文明社会の光によって生まれた影であるように。

さて、本作の基調音とも言える「悩める少女」はナイヒルにも存在します。前作『イントゥ・ザ・ダーク』で可憐な外見と残虐な内面によって鮮烈な印象を植えつけた少女ナンもまた、組織の中での己の立ち位置について葛藤を深くして行きます。己の欲望のためなら人を人とも思わない冷酷な彼女ですが、物語が進むにつれさらに深いエゴを剥き出しにする者たちが彼女を圧倒して行きます。

「(略)ナイヒルは、銀河のはぐれ者や敗者に家を与えている。何も持たない者に、何かを与えてきた。それってすごいことなんだよ。やつらが悪者かって? もちろんそう。でもやつらが悪いのは、暴力の根底にうそがあるからだ」

本書を読了すれば、もはや第一弾『ジェダイの光』で私たちが垣間見た「輝ける共和国」は幻想に過ぎなかったという思いに駆られることは必至でしょう。文明は確かに多くの人々に光をもたらす素晴らしいものですが、ジェダイという光ある限りシスという闇があるように、共和国という偉大な光ある限りそれが生み出す濃く深い影を消し去ることは不可能なのです。

参考資料

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