『ハイ・リパブリック:イントゥ・ザ・ダーク』〈新たな世代の人々へ〉【カノン小説】

カノン小説
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壮大なSW作品群に新たなるページとして書き加えられた『ハイ・リパブリック』シリーズは、ルーク・スカイウォーカーやアナキン・スカイウォーカーたちが活躍する映画本編やそこから派生したスピンオフ作品群によって支えられる「スカイウォーカー・サーガ」を遡ること遥か200年前に起こった出来事を物語ります。

いったい何のために?

新たなるファンたちへ

多くの人々は首をひねるかも知れません。SWといえば既にブランドイメージは盤石であり、映画本編はスペースオペラの金字塔として輝き、そこから派生したスピンオフ作品の数々は映画本編の言葉足らずを補い、テーマの掘り下げを行い、別角度からの批評や提案を行い、その物語世界を遺憾なく充実させています。私たちSWファンはそれらの作品群に触れることで、勧善懲悪のおとぎ話として始まったこの物語を様々な面から眺め、考え、語ることができます。

しかし際限なく大きく広げられたSW物語は、ファン以外の人々にとっては理解に苦しむ場所とはなっていないでしょうか? 映画本編を鑑賞してその世界観に興味を持った新たなるファンたちは、彼らの目の前に広がる膨大なスピンオフ作品群 ―しかもある程度の予備知識を前提としているかのような― の海を前に途方に暮れはしないでしょうか? 本シリーズ最大の意義は日本における本書出版社Gakkenによる広告文の一節に現れているでしょう。

ここから始まる新世代むけ「スター・ウォーズ」!

本シリーズは、決して有名な作品群の過去も探求して行こうというマニアックな試みだけに終わる物ではなく、新たにこの物語世界に興味を持った人々にはSWを代表するフォースとは、そしてジェダイとはなにかを補足する物語であり、既にそれらを知っている古参ファンたちには彼らがよく知るスカイウォーカー・サーガ時代との類似や相違に思いを馳せさせるシリーズとなっているのです。

思えば同シリーズの邦訳第一作『ハイ・リパブリック:ジェダイの光』は、ジェダイの矜持やヒロイズムを十二分に味わえる物語でした。未だ野蛮が蔓延る銀河に文明と秩序を与える銀河共和国の大義に多くの人々は共感し、「我々は共和国だ」のスローガンのもと一致団結の風潮が支配的だった世界を舞台に、それを守護するジェダイ騎士団の存在はまさに光であったのでした。

しかし本作『イントゥ・ザ・ダーク』では事情が少々異なります。前作では一貫して残忍な犯罪集団としてのみ描かれた「ナイヒル」に属すある人物を通して「偉大なる共和国」が投げかける影が仄めかされ、また後にアナキン・スカイウォーカーを七転八倒させることになるジェダイの非人間的なまでの思想やその在り方に疑義を呈するジェダイたちの存在など、光り輝くジェダイ像に深い陰影が投げかけられます。

奇しくも第一作『ジェダイの光』は旧三部作時代の、第二作『イントゥ・ザ・ダーク』は新三部作時代の、共和国とジェダイ像をなぞるものとなってはいないでしょうか? ならば本シリーズは多くのスピンオフ作品群を前にたじろぐ新たなるファンたちの前に開かれた新たなるSW理解への招待となるシリーズと言えるのではないでしょうか?

物語は『ジェダイの光』の少し前、一人の内向的な少年パダワンに課せられた憂鬱な任務から始まります・・・。

あらすじ:闇のなかへ

基本的に群像劇として展開する本作ですが、その中でもとりわけ大きな比重で語られるのは若干17歳のパダワン少年リース・サイラスです。冒険よりも読書と学究を好む学者肌のリースはしかし、快適で学習環境の整った首都コルサントを離れ、未開で勉学に取り組むにはおよそ不適と言うしかない辺境開拓地での任務を希望したマスター、ジョラ・マリに同行を命じられ落胆します。

マスターに先んじて渋々目的地へ向かうことになったリースは、同じく開拓地での任務に赴くジェダイ、コーマック・ヴァイタスオーラ・ジャレニ、そして彼には兄弟子にあたるデズ・ライダンと旅を共にすることになります。彼らを移送するのは一大運輸業者バイン・ギルドに属する輸送船でその名も〈ヴェスル〉。奇抜な船名にふさわしく風変わりな船長レオックス・ギャシー、少女というべき年齢ながら立派にその補佐を務める副操縦士アフィー・ホロウ、そして一見してもよく見ても単なる岩にしか見えないヴィンティアン種族の航海士ジオードという奇妙な一行とともに、ジェダイはまだ見ぬ銀河の辺境へと旅立つのですが、その渦中に『ジェダイの光』で銀河を震撼させた大災害に見舞われることになったのでした。

ハイパー・スペースに突如現れた無数のスペース・デブリによって膨大な数の命を奪った大災害を辛くも生き延びた一行は、同じく遭難した船の乗員たちを偶然発見した廃宇宙ステーションへと非難させます。しかし長きに渡って遺棄されてきたと思しきステーションには遥か古代に歴史から姿を消した恐るべき戦闘集団アマクシンの技術の片鱗が見られ、その内奥には禍々しいフォースの暗黒面を発散する謎めいた巨像が鎮座していたのでした。果たして忘れ去られた戦士たちが遺したステーションの正体は? そして練達のジェダイさえも慄かせる不気味な存在感を湛える巨像の正体は? 様々な登場人物の思惑と葛藤とともに、物語は過去と現在の出来事を交えて展開して行きます。

個と全の狭間で

いくつもの物語が展開して行く本作ですが、とりわけ興味深いのは前作でその偉大な存在感を印象付けたジェダイ騎士団に対する違和を隠し切れない二人のジェダイ、コーマックとオーラが辿る足跡でしょう。二人は長きに渡る旧友として絆を育んでいますが、ともに25年前のパダワン時代に経験したある挫折によって生じた心の傷にいまも苛まれ続けています。二人は密かにジェダイ騎士団の在り方に疑問を抱き、あるいはフォースとの繋がりにおいて騎士団とは異なる見解に思いを馳せ、目の前の事件に対処しつつも振り切れぬ過去の記憶に懊悩します。果たして二人は苦難に満ちた事件を潜り抜けながら、それぞれの答えを得ることができるのでしょうか?

耳新しいのは当時のジェダイ騎士団において「ウェイシーカー」と呼ばれる生き方が存在していることです。騎士団の指示を受けることなく独自に行動するジェダイを指し、その行く先は孤独な瞑想生活や独裁政権に対する革命の手助け、果ては歌手など多岐に渡り、彼らの誰もが騎士団の方針から離れてより深いフォースとの調和を探る生き方であるというのです。それは決して一般的なジェダイの生き方ではなく、リースもまた懐疑的な思いを抱く一人ですが、どうやらオーラはこのウェイシーカーとして生きる決意をしているようです。

またジェダイのなかには「バラシュの誓い」という誓いを立て、たった一人で数年から数十年にも及ぶ孤独な瞑想生活に耽ることでフォースとの究極的な繋がりを得るを探求する者も存在するとされ、非常に多様な個人としてのジェダイの在り方が存在したようです。その存在は例えばキリスト教において教会に仕える聖職者と、たった一人で苦行を通じてイエスの教えに向き合う修行僧のように対照的です。「ジェダイの理想と人間的感情の隔たり」という後にアナキン・スカイウォーカーをシスの道へと追い立てたジェダイの矛盾を、当時の騎士団はこのような形で吸収していたのかもしれません。

シスなき時代の暗黒面

忘れ去られた宇宙ステーションに鎮座しフォースの暗黒面を発散する謎の巨像。では事件の背後にはシスの暗黒卿が存在しているのでしょうか? しかし実際には一子相伝制のもと巧みにジェダイの目を逃れているとはいえ、映画本編で「1000年前に滅びた」とジェダイが言及することになる彼らが大っぴらに登場することは考えにくいでしょう。しかし本シリーズではSWの悪の代名詞である彼らに代わって、シスの思想を体現するかのような「ナイヒル」が登場します。彼らは他者の犠牲や感情など慮ることなく略奪をほしいままにし、その頭には己の利益と上位者への畏れしかありません。野蛮な獣のような彼らですが、本作ではある登場人物の視点によって自ら望んで「ナイヒル」に加わり、その決定を誇りとする者の心情が語られます。彼女が吐露する生存への切実と視野の狭さはまさに多くの人々を魅了する暗黒面の生き方そのものと言えるでしょう。暗黒面の道とはジェダイやシスだけに開かれた道ではなく、私たちの前にもまた広がっているのです。

その発露はあからさまな残虐行為だけに留まりません。決して暴力に訴えず、しかし法の抜け穴を突き、巧妙な欺瞞をもって人々を危険にさらし、己のふところを潤すのもまた暗黒面の道と言えるでしょう。ジェダイと行動を共にするある人物は育ての母とも思う愛すべき者の醜い一面を知って驚愕し、当惑しつつも彼女を暗黒面から救い出すために決死の奮闘を繰り広げます。映画本編ではルークとベイダーによる父と子の対決が描かれましたが、本作では母と子の対決が描かれるという意味で映画本編のテーマをもなぞっていると言えるでしょう。

そしてすべての謎が解明されたとき、まさに「暗黒面の権化」とも言うべき存在が冒険者たちに牙を剥くのでした。それは恐るべき太古の脅威。しかしそれらの姿はもしかしたら、私たち暗黒面の誘惑に晒されつつ生きる者の戯画でもあるのかもしれません。

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