『千の顔をもつ英雄』【関連書籍】〈私たちはそれをスター・ウォーズという名で〉#7:神ならぬ者たち

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本記事はジョージ・ルーカスが絶大な影響を与えたとされる神話学の大家ジョゼフ・キャンベルの著書『千の顔をもつ英雄』をベースに、その要諦と『スター・ウォーズ』への影響を考察することを目的としています。過去の記事はこちら#1 #2 #3 #4 #5 #6

『神格化』

フォースが光と闇の両面を併せ持つとされるように、世界の神々の多くもまた陰と陽を併せ持つ存在として描かれています。本項ではそういった神々、とりわけ男性的側面と女性的側面を併せ持つ観世音菩薩を典型に、その身のうちに「相反するもの」を内包し、双方を超克した存在としての「神なるもの」の様相を説きます。そしてそれは英雄の旅路の、すなわち私たちの内面探求の到達点としての「神格化」の過程を追うものでもあります。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」ここで疑問に思うのは、神の姿の本質は何だったのか、ということである。しかしすでに答えは聖書注解書に示され、それで十分にはっきりする。「聖なる神(略)は最初の人間を創った。それは両性具有であった」その人間から一部間を切り離して女の形にするのは、完全なるものが堕落して二元性を帯び始めることを表す。これは当然、善と悪の二元性の発見、神が歩く庭からの追放へとつながり、さらに「相反する組み合わせの一致」を成す天国の壁が作られた。こうしていまや男と女に分かれた人間は、神の姿を見ることができないだけでなく、神の姿を思い出すこともできないのである。

上記の「男女」が単なる性別に留まらずあらゆる「相反するもの」(善と悪、光と闇、生と死、永遠と時など)を意味するのは明白です。そして私たちは何にせよ「相反するもの」の間を行き来することに激しい抵抗を感じ、いま現在自分が属するものとは逆の属性や存在に触れることを恐れ、忌み嫌いさえします。ジェダイとシスとて例外ではあり得ず、ライトサイドとダークサイドをめぐる葛藤は永遠に彼らを対立させるものであり続けるでしょう。

しかし世界中の神話が示し、未開社会における通過儀礼が端的に実行しているように、相反するもの、未知のものに従前の存在、自意識、認識を打ち砕かれることはさらに高位の新たなるものへと生まれ変わるために必須のイニシエーションであるのです。

私たちの身体を守る優しい母親は、私たちを父なる大蛇から守れない。母から授かった手に触れることのできる死すべき肉体は、大蛇の恐ろしい力の前に差し出された。しかし死は終わりではなかった。新し命を授かり、新しい誕生を迎え、存在することを改めて知った(略)。大蛇の前に引き出す父親は、二度目の誕生の子宮であり母親だったのである。

これら「相反するものとの合一」は前項『父親との一体化』で説かれたテーマでもあります。「悪なる父」と触れ合い理解したルークとアナキンはその心の内で「善なる母」と「悪なる父」の合一を成し遂げ、いわば「善悪の彼岸」を体得することで「英雄=神」として完成したのでした。

ならばすべてのジェダイは「悪なる父」ダークサイドの道に一度は足を踏み入れるべきだったのでしょうか? 歴代のシスたち、とくにパルパティーンが、ダース・ベイダーが、彼らが作り上げた帝国やその後裔ファースト・オーダーが銀河にもたらた災厄を思うなら、そのような意見は暴論も良いところでしょう。しかし私たちが思うほど、暗黒面に触れることと破壊と殺戮に生きることは同義なのでしょうか? あまりにも顕著なシスの残虐性は、ジェダイが放つ強すぎる光の濃すぎる影とは言えないでしょうか?

例えば私たちの世界で異なる宗教、宗派や信条、人種や利害関係を同じくしない者を、部外者の目から見れば不可解でしかないほど憎悪し、理解不能なほどの暴力性を発揮することはわざわざ歴史をひもとくまでもなく明らかです。そんな世を乱す狂信者たちと同じく、ジェダイとシスもまた互いの持つ属性を過大に受け止めすぎているとは言えないでしょうか?

ときに私たちが覚える「社会常識」や「良識」という名の「善なる母」を蔑ろにする者たちへの抑えがたい怒りや軽蔑を想い、ときにどちらが社会常識や良識を蔑ろにしているか分からないほど誹謗中傷や罵詈雑言を浴びせる人々も存在することを思えば、ジェダイのダークサイドに対する反発やシスのライトサイドに対する軽蔑を察することは容易でしょう。

私たちよりもはるかに高い精神世界に生きているかのように見えるジェダイやシスたちもまた、私たちと同じように「善なる母」のもとでの平安を乱す「悪なる父」への感情的な敵意を止められないのではないでしょうか? そしてそれらは相反する側面へ至る感情を抱くことにすら拒否感を示すほど、根深い「固着」として彼らの心を占め続けたのです。

天国のような世界に最初に侵入する父親は、敵対する者の元型である。したがって生涯にわたって、敵対する者は(無意識に)父親を象徴することになる。(略)また、戦いの衝動に抗えないのも当然である。父親を滅ぼしたいという私的衝動が、絶えず公的な理由の暴力にその姿を変えていくのである。

自らを脅かすものを拒絶することはイニシエーションを拒み、いつまでも「悪なる父」への恐れと憎しみを持て余す子ども時代に留まることに等しく、「民族」や「国家」そして「常識」や「正義」といったトーテム(象徴)に依拠しながら盲信と批判に勤しむ私たちのように、ジェダイとシスもまた互いが属する側面に対する盲信と批判に憑りつかれてはいないでしょうか? そしてそれは互いが奉じる側面への必要以上に過剰な解釈へと繋がり、相反する側面へと至る感情を抱くことにすら忌避感を覚えるほど強い固着は互いのあるべき自己像にも深刻な影響を与え、ジェダイは必要以上に闇を恐れ、シスもまた必要以上に光を忌み、より穏健な方向へ、またはより過激な方向へ、それぞれの形で自分たちの性向を見失っていったのではないでしょうか?

ジェダイとシスは互いへの固執ゆえに過剰にその「役割」を意識したのではないだろうか

 トーテムや部族や民族、そして強引な伝道を旨とするカルト集団は、愛によって憎悪を抑えるという心理的な問題に対して部分的な解決法しか示さず、部分的なイニシエーションしか行わない。この方法ではエゴは滅びず、むしろ大きくなる。そして自分のことだけを考える代わりに、所属する社会全体に身を捧げるようになる。その一方で、その社会を除いた世の中(つまり人間社会の大半)は自分のテリトリーの外にあって、共感もしなければ守ろうとも思わない。なぜならば、自分の神の保護範囲を外れているからである。

世界の救い主であるはずの神を奉じるキリスト教をはじめとする一神教徒であろうと、あらゆる衆生を救済するはずの仏を奉じる仏教徒も、歴史にその名を刻むのは素晴らしい人道的行為によってではなく権力闘争や戦乱や差別を生み出す行為によってです。ジェダイやシスもまた「銀河を繋ぐ偉大なる力場」であるはずのフォースの一側面を過大に受け取りすぎた結果、果てしない戦乱を巻き起こす不穏分子となり果ててしまっているのではないでしょうか。

神々の図像言語で説明するなら、時の世界は偉大なる母の子宮である。父によってその中に芽生えた命は、母の闇と父の光が合成されたものである。私たちは母の中に宿り、父から離されて生きる。しかし死んで時の子宮から出ると(つまり永遠に向けて誕生すると)、父の両手の中に受け止められる。賢人は子宮の中にいても、自分が父から生まれ、父に戻ることがわかっている。真の賢人は、母と父が実質的に同一のものだとわかっている。

神や自然、人間性そのものの相反する性質を象徴するライトサイドとダークサイドは、やはり片面だけでは創造と破壊というサイクルを行い得ない不完全なものに過ぎないのでしょう。過剰な光からこぼれれ落ちた、または過剰な光にあえて背を向けたことで闇をも理解するに至った父子の姿は、やはり物語屈指の英雄=神というに相応しい存在と言えるでしょう。

そして世界の神々であろうと菩薩であろうと仏陀であろうとスカイウォーカー父子であろうと、英雄=神は、私たち人類が目指すべき目標でありながら永遠に到達できない理想像であるからこそ、いつまでも私たちの憧れの的であり続け、その叶わぬ想いがかつて、そして今も、そしてこれからも神話的物語を紡ぎ続ける原動力となっているのではないでしょうか。

参考資料

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