『DARK DISCIPLE』【カノン小説】(未邦訳)〈ジェダイ葬送曲〉

カノン小説
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あらすじ:ドゥークー暗殺指令

銀河を混沌の極みへと追い込んだ泥沼のクローン戦争は日々その残酷さを増し、多くの無辜の人々の痛ましい死に心痛めるジェダイ評議会はついに苦渋の決断を下しました。

ドゥークー伯爵暗殺。

分離主義勢力の盟主にして災いの源であるかつての同胞の命を断つことでしか、この無数の死の連鎖を止める術はないとジェダイ評議会は判断したのでした。

しかし死をもって問題解決を図ることを決意したジェダイ騎士団は何よりも生命を尊ぶことを誓った人々だったのではないでしょうか? それとも一人に死をもたらすことで多くの人々の死を防ぐことができるのならば、それは「正しい殺人」と言うことができるのでしょうか?

ジェダイ評議会の一員となったオビ=ワン・ケノービは多くの葛藤を抱えつつも盟友クインラン・ヴォスにこの大任を委ね、かつてドゥークーの刺客として暗躍しながら裏切りの犠牲となり、今では彼への復讐に燃える堕落ジェダイ アサージ・ヴェントレスとの共闘を命じたのでした。

まさしく「毒を以て毒を制す」と言う他はないこの窮余の一策は、共和国とジェダイにとって思わぬ癒しの特効薬となるのでしょうか? それとも彼らを最終的な死に至らしめる、恐るべき中毒を引き起こすこととなるのでしょうか?

アサージ・ヴェントレス(画像出典:Wookiepedia
クインラン・ヴォス(画像出典:Wookiepedia

作品背景:失われし『クローン・ウォーズ』

高い完成度を誇り、多くのテーマと感動的な展開によって紛れもない「傑作」たる本作ですが、本作にはもう一つ重要な位置づけが存在します。それは2008年から長きに渡って放映され根強いファンを獲得した3Dアニメシリーズ『クローン・ウォーズ』の幻のエピソードであるという点です。

2012年のディズニーによるルーカスフィルム買収、そしてシークエル三部作制作決定の余波を受けて惜しまれつつも打ち切りとなった同作は多くのエピソード構想を「お蔵入り」にせざるを得ず、本作で描かれる物語もまた、すでに下書きレベルの3Dアニメーションまで制作されていたにも関わらず陽の目を見ることなく幻と消えてしまったのでした。

しかし小説という形で復活した本作は、3Dアニメならではの映像的迫力は失われたにしろ、活字媒体という形式をフル活用して形骸化とどまるところを知らぬジェダイ評議会の変貌ぶりとそれを憂うオビ=ワン・ケノービの苦衷、そして主人公となる異端的ジェダイ クインラン・ヴォスと、日陰を歩み続けてきた堕落ジェダイ アサージ・ヴェントレスとの哀しみに充ちた冒険譚を雄弁に語ることでこの「幻」に見事な肉体を与えたのでした。

アサージのコンセプトアート(画像出典:starwars.com

2019年出版のトレンド作品?

本書の出版は2019年であり、決して「スター・ウォーズ最新作」と呼べるものではありません。しかし本記事執筆時点(2024年2月)ではファンたちの注目をもっとも集めている作品と言っても過言ではないでしょう。なぜなら今月下旬に放送予定の最新アニメシリーズ『バッド・バッチ』シーズン3にて本作の主要人物アサージ・ヴェントレスの再登場が明らかになり、作中で彼女を見舞う重要な展開との整合性や関連が大きな話題となっているからです。

また、そうでなくとも『クローン・ウォーズ』やその前身となった2Dアニメ『クローン大戦』で鮮烈な印象を残しながら映像作品では語られ足りない印象の強い彼女の人生を見届けるという意味でも、本作をひも解く価値は十二分にあると言えるでしょう。そして彼女によってその生き方に大きな変化をもたらされたクインラン・ヴォスもまた、ドラマシリーズ『オビ=ワン・ケノービ』でオーダー66後の生存が示唆されたことから今後の再登場と活躍が期待されるキャラクターとなっています。

『バッド・バッチ シーズン3』予告編に散見されるアサージの姿
『オビ=ワン・ケノービ』より帝国の抵抗運動の拠点となった「パス」。クインラン・ヴォスの活躍が仄めかされた。

参考資料

本記事でご紹介した『Dark Disciple』はamazonまたはkindleにてご購入頂けます。

惜しくも未公開となってしまったアニメ版『Dark diciple』ですが、スター・ウォーズ公式サイトstarwars.comにてコンセプトアートが公開されています。

Dark Disciple Concept Art Gallery
This gallery features concept art created for an unfinished 4-part story arc from Star Wars: The Clone Wars. The story w...

また、本作の根幹となるスター・ウォーズ映像作品に触れるならほぼ全作品を網羅したDisney+でのご視聴がもっとも効率的です。

Hulu | Disney+ セットプラン

脱線考察:ジェダイ葬送曲

本書を一読された方々は皆クインランとアサージの恋、そして二人がたどる悲劇的道行きに心打たれ、悲劇の元凶とも言うべきジェダイ評議会の変質ぶりに愕然とすることでしょう。すでに『クローン・ウォーズ』本編で嫌というほど描かれた「本分を見失い変質したジェダイ騎士団」は本作においても遺憾なくその印象を上書きされ、もはやこの後に起こる騎士団滅亡も悲劇ではなく必定であったとの思いを強くするのではないでしょうか。

しかし自らに許されぬ感情に身を焦がし、それによって一度は道を誤り、そしてまた同じ感情ゆえに道に復したという点ではクインランもアサージも、彼らを追い詰めたジェダイ騎士団すらも、同じ感情に苦しみ試行錯誤を繰り返したという点では実に似た者同士の物語であると言えるのではないでしょうか。ではどのような感情によって? 「恋」という感情によって。

「恋」とは古くは「孤悲」とも書かれていたそうで、『日本国語大辞典』には

「目の前にない対象を求め慕う心情をいうが、その気持の裏側には、求める対象と共にいないことの悲しさや一人でいることの寂しさがある。」

とあり、そもそも異性に限らず広くものごとを愛し慈しむこころを指す言葉でもあったようです。

許されぬ恋に身を焦がした本作の主人公クインランとアサージを突き動かしたのは互いに対する「求め慕う心情」であり、もはや本書では敵役とすら言えるジェダイ評議会もまた、自らが尊重すべき生命と人々に対する「求め慕う心情」によって自らの本分を見失って行き、そして後には同じく「求め慕う心情」によって道を踏み外し評議会を亡き者としたアナキン・スカイウォーカーは、「求め慕う心情」とともに父と相対したルークによって救われ、この最後のジェダイの勝利によって滅び去った騎士団にもまた復活の兆しが芽吹いたのでした。

愛と執着のあいだ

ジェダイと堕落ジェダイの道ならぬ恋を主軸とする本作ですが、当時のジェダイ騎士団は恋愛を固く禁じていました。特定の相手や物事に対する愛着は判断の誤りを誘い、それはフォースを通して強大な力を持ち得るジェダイとしては決して陥ってはならぬ迷妄状態に他ならないからです。つまりジェダイは人間でありながら「人を愛する」というもっとも人間らしい感情を否定した、非人間的集団ということができるでしょう。

しかしジェダイは反論するでしょう。自分たちが許さぬのは愛から派生する執着とそれがもたらす認識の歪みであり、愛そのものではないのだと。

Attachment is forbidden. Possession is forbidden. Compassion, which I would define as unconditional love is central to a Jedi’s life. So you might say that we are encouraged to love.

(執着は禁止。所有も禁止。でも、同情はジェダイの生き方の中心的概念だ。僕はそれを無条件の愛と解釈してる。だから愛はむしろ推奨されていると思っていい。)

『クローンの攻撃』より アナキン

The Jedi cultivated a practice of nonattachment, which had always served them well. Few understood, though, that while specific, individual bonds such as romantic love or family were forbidden, the Jedi were not ashamed of compassion. All lives were precious, and when so many were lost in such a way, the Jedi felt the pain of it in the Force as well as in their own hearts.

(ジェダイは愛着を持たないことを信条としていたが、それはロマンチックな愛や家族のような特定の絆に対してであり、ジェダイが思いやりを恥じることはなかった。すべての命は尊いものであり、このような形で多くの命が失われたとき、ジェダイはその痛みをフォースと自分の心で感じた。)

本書より

しかしおよそこの世に「愛」と「執着」を明確に見分け得る人間が存在するでしょうか? 愛には必ず執着の歪みが付着し、執着の歪みには必ず愛の輝きが仄見えるものではないでしょうか?

ジェダイ評議会が本作ではドゥークー暗殺という自らの本分を投げ打つ決断を下し、そして後には最高議長逮捕と元老院掌握というテロ行為を決行するに至ったのは、残酷に奪われゆく無辜の人々への大きな哀しみと痛みだったのではなかったでしょうか。生命の尊重と人々への思いやりという非難しようもない美しい感情はすべてを奪い去る戦禍のなかで醜く変質し、やがて彼ら自身をあるべき姿からかけ離れた怪物へと変えてしまったのかもしれません。後に彼らが生み出し、彼らを滅ぼすことになるダース・ベイダーのように。

主人公となる二人もまた、互いが持つ癒しきれぬ心の傷を共有し合ったことによってジェダイが禁じる個人的な執着にまみれた恋愛関係へと踏み込んで行きます。しかしその根底にあるのは執着がもたらす怒りや憎しみ、喪失感を共有したことで昇華された「哀しみ」という美しい感情だったのではないでしょうか?

Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering.

怖れは暗黒面へ至る道じゃ。怖れは怒り、怒りは憎しみ、憎しみは苦痛につながる。)

かつてヨーダは暗黒面に至る感情として「怖れ」「怒り」「憎しみ」を挙げましたが、では哀しみは? 哀しみを知ることは他者への慮りに繋がり、他者への慮りは紛れもなくジェダイが標榜し、やがて彼らを怪物へと変質させていったライトサイドに属する感情だったのではないでしょうか? そして彼らもまたこのライトサイドによって狂っていった評議会と同じく、決して美しいだけではない愛と執着のあいだで苦しみ悶えながら互いに対する激しい感情のうねり、破局、そして再生への道のりを歩んで行くのです。

クインランとアサージ。ジェダイ評議会。本作で描き出される「変わり行く者たち」の姿は、愛の輝きと執着の翳りに翻弄される私たち自身の似姿でもあり、スター・ウォーズという物語がライトサイドとダークサイドという絶妙な比喩で何度も私たちに語りかける闇から光へ、光から闇へと移ろう「バランス」に思いを馳せさせます。

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