『千の顔をもつ英雄』【関連書籍】〈私たちはそれをスター・ウォーズという名で〉#6:かつて父がそうであったように

関連書籍
記事内に広告が含まれています。

本記事はジョージ・ルーカスが絶大な影響を与えたとされる神話学の大家ジョゼフ・キャンベルの著書『千の顔をもつ英雄』をベースに、その要諦と『スター・ウォーズ』への影響を考察することを目的としています。過去の記事はこちら#1 #2 #3 #4 #5

父親との一体化

「外の世界と対峙するには未熟で、準備が整っていない状態」で生まれ出てくることを運命づけられた人間は「母の懐=安息」から引き離される恐怖を根源に持ち、知りたくもない現実を無理やりに押しつけてくる憎むべき存在である「父」こそは危害を加えようと待ち構える恐ろしい人食い鬼であり、「善なる母」に対して「悪なる父」が幼い人間の心に焼き付けられます。

本書冒頭で人間の根底に横たわる「基礎疾患」として解説されるエディプス・コンプレックスを『スター・ウォーズ』世界に置き換えるならば、「フォースの二面性」という捉え方が好例ではないでしょうか。前回の記事では本書前項『女神との遭遇』と『誘惑する女』を題材にフォースという「偉大なる母」を前に「善き母」と「悪しき母」の面影の間で惑う子どもたちのように「冷静な熟視」を欠いた存在としてジェダイとシスを考察しましたが、そもそもなぜ彼らは「ライトサイド」と「ダークサイド」という二面性を意識するに至ったのでしょうか?

ジェダイにとって「ダークサイド」はフォースの裏面「悪しき母」であり、同時に母の懐に等しい「ライトサイド」のもとで平安を得ようとする自分たちにもう一つの世界を突きつけ恐ろしい転向へと誘う「悪なる父」でもあります。しかしそもそも「悪なる父」というイメージそのものが、一つの大いなるものに対して人々が見ようとしている側面の一つに過ぎないのです。

それは、父親の中にある人食い鬼の一面が、犠牲者自身の自我を映しているからである。

 人食い鬼の一面は、過去に置いてきたのに未来に投影される子どもの頃の感覚的な場面に由来する。そのような教育的に無意味な固着した偶像崇拝は、それ自体が人を罪の意識に浸らせる欠点であり、父親の、そして世の中のバランスよく現実的な考え方から、潜在的に成熟している精神を封印してしまう。

「生後6か月を待たずに親元から引き離す」というラディカルな方針を取ってまで「執着」の根を断とうとしたジェダイですが、彼らが人間である以上、具象としての他者への執着を消し去ることはできても象徴としての母の懐への執着を消し去ることは不可能でしょう。肉親の記憶を持たない彼らは代わってジェダイ騎士団を、フォースのライトサイドを「母の懐」とし、それらと相対する、それらを破壊し得るフォースのダークサイドを「悪なる父」として負の偶像とし、結果”世の中のバランスよく現実的な考え方から、潜在的に成熟している精神を封印”してしまったのではないでしょうか。

フォースとは、ジェダイが考えるほど光に満ちたものなのでしょうか? 本項で著者が「父なる神」の典型として紹介するペルーの最高神ヴィラコチャの在り方はフォースという人知を超えた存在のダイナミズムを彷彿させます。

(ヴィラコチャの)最も風変わりで深く感動を呼ぶ特徴は、ヴィラコチャに特有の、涙の解釈である。命を与える水は神の涙である。これで、修行僧の言う「すべての生は悲惨である」というこの世を信用しない考え方が、父親の「命あるべし」という世界を生み出す肯定的な考えとつながる。手中の被造物の生の苦しみに十分に気づき、激しい苦痛の叫びや、失望し自己崩壊しみだらで怒りに満ちる自ら創造した世界の気を狂わすような劫火を十分意識して、この神は生あるものに命を注ぎ込む行為を黙って見ている。精液を出さなければ、絶滅を招く。出せば私たちの知る世界が創造される。時の本質は流れることで、一瞬存在したものの消滅である。そして生の本質は時なのである。このデミウルゴス的な男の中の男は、慈悲深い心で、時が形になることを愛して、苦悩の海の味方をする。しかし自分が何をしているのか気づくと、差し出す命の精液は目から流れる涙になるのである。

生と死、創造と破壊を司るフォースを理解するにあたって、死と破壊を無視することは許されないでしょう。生と創造を司る母なるライトサイドに偏重し、死と破壊を司る父なるダークサイドを徹底的に忌むジェダイは、その存在の最初からバランスを欠いた存在だったと言えるのではないでしょうか。

「父」を恐れ、避け、あくまでも接触を遮断しようと努めるジェダイの姿勢は、「母の懐」に留まり続けるという選択を表しているのではないでしょうか。未開社会に言い換えれば恐ろしい「父」に連れ去られて大人の男となるための恐ろしい通過儀礼を受けることを拒絶したことに等しく、自我を打ち砕くイニシエーションを経ず子どものままでいることを選択した者が押し寄せる無慈悲な現実に為すすべなく倒れるのは自然の勢いといえるでしょう。

本項では古今の様々な未開社会における通過儀礼を例に、成長した少年が「悪なる父」に連れ出されて恐ろしいイニシエーションを受けることの意義を解き明かして行きます。

 子供が成長して母の胸というよくある田園詩から離れ、大人に限定された行為の世界と向き合うようになると、子どもは精神的に父親の領域に入っていく。(略)父親は、意識していてもいなくても、社会でどのような立場にあっても、若い者たちがより大きな世界に入っていくときにイニシエーションを授ける指導者なのである。そしてそれ以前は母親が「良きもの」と「悪しきもの」を表していたように、今度は父親がそうなる。(略)

 伝統的なイニシエーションの考え方は、若者に仕事の技術や職務、特権を教えることと、親のイメージに対する感情的な関係を合理的に見直すことを結び付けている。(略)理念的には、託された者は単なる人間性を取り払われ、人格のない宇宙的な力を表すことになる。つまり、「二度生まれた」。自分で父親になったのである。(略)そしてそれを通じて人は、幼稚な「良きもの」と「悪しきもの」という幻想から脱して宇宙的な法則の権威を経験し、希望や恐れを取り去って、本質の現れを理解した心穏やかな状態になれるのである。

本項では「父」が持つ「人食い鬼」と「自己犠牲」の二面性が強調されます。成長した少年は恐ろしい父のもとで苦痛や恐怖をともなう試練にさらされ、父もまたときに「乗り越えられ屠られるもの」として己の身を犠牲にして少年のイニシエーションを執り行います。かつて自分を慄かせた「恐ろしいもの」と一体化し理解を示した少年は感情的な恐怖を克服したことでもはや少年ではなくなり、かつて恐れた父と同じ成熟した存在となるのです。

 英雄が父親に会いに行くという課題は、恐怖に対して心を開き、この広く無慈悲な宇宙の、気分が悪くなるような狂気の悲劇が、「存在する者」の中でどのように完全に認められるのか理解できるほどに成長することである。英雄は、特有の盲点がある命を飛び越し、命の源泉をかいま見て、しばらく立っている。そして父親の顔を見、理解して、父と子は一体化するのである。

アナキンの子ルークは偉大な先達が「悪」と断じた父と接触することで父を理解し、真にジェダイとして成長します。そしてフォースの子アナキンもまた不本意な形でとはいえ偉大な先達が「悪」と断じた暗黒面と接触することでフォースの両面を理解し、最終的に「フォースにバランスをもたらす」という予言を成就させたのでした。二人の英雄はともに「悪なる父」との接触と合一を経てその役割を全うしたのでした。

参考資料

本記事でご紹介している『千の顔をもつ英雄』は各種ECサイトでご購入いただけます

『スター・ウォーズ』に触れるには関連全作品を網羅したディズニー公式動画配信サービス「Disney+」でのご視聴がもっとも効率的です。

Hulu | Disney+ セットプラン

コメント

タイトルとURLをコピーしました