『スター・ウォーズ』という物語を愛する人々にとってその魅力を語り、また他者が語る魅力に共感することは容易いでしょう。身近に落とし込むことが可能な普遍的テーマ、英雄然としていながら自身に相通ずるキャラクターたち、そして何より手に汗握る映像表現の美しさと迫力。それら全てが織りなす物語世界を自在に泳ぎ回る私たちは、いつもその水底から多くの示唆や教訓、溢れる感慨といった「なにものか」をつかみ取っては一抹の寂しさとともに現実という陸へと上がって行きます。
しかしこの物語はその成り立ちにすら、多くをつかみ取ることが可能な寓話的一面を備えているようです。本書で描かれるのは「スターウォーズ制作にまつわる知られざるエピソードや苦心談」といった内幕物としては当然の内容に留まることなく、SW銀河の創造主ジョージ・ルーカスがかつて心に抱いた美しい夢とイマジネーション、それらの実現のために歩んだ地獄と煉獄の日々、そしていっときの天国。その先にそびえ立つ新たなる地獄の門をくぐる彼の姿を通して、一幅の興亡史が繰り広げられるのです。
ルーク・スカイウォーカーはジョージ・ルーカスの分身である。
とはSWファンならずとも知られる有名な一句ですが、本書を読んで感じるのはルーカスはルークよりもその父アナキンの、「選ばれし者」として将来を嘱望され、偉大な実績を積み上げながらも多くの軋轢に苦しみ、やがて「自らが倒すべき者」に成り果てて行ったアナキン・スカイウォーカーの分身と呼ぶのが似つかわしいのではないかという苦い感慨なのです。
書籍背景
本書はいまを遡ること約四半世紀前、新三部作公開の狂騒も知らぬ1998年に生まれました。著者ゲリー・ジェンキンズは英米の雑誌で活躍するジャーナリストであり、監督ジョージ・ルーカスや主演俳優らは言うに及ばず、SW制作に関わったありとあらゆる人々からの聞き取りや各種資料を基に頑迷固陋なハリウッド映画界からの嘲笑と冷酷な仕打ちをよそに世界的大成功を成し遂げ、ついにはそのシステムをも永遠に変えてしまった革命児『スター・ウォーズ』の受胎と誕生、そして成長を克明に描きます。
そしてそれを訳するのはSF作品に造詣深く、日本における『スター・ウォーズ』翻訳者第一号であり、さらに大ヒット番組『ひらけ!ポンキッキ』のプロデューサーとしても知られ(ついでにガチャピンのモデルとも言われ)、SF界隈に残した偉大な功績から「大元帥」の愛称で親しまれた野田昌宏氏。巻末には氏の溢れ出るSW愛とSW日本上陸当時を知る者ならではの逸話の数々ををこれでもかとブチ込んだ特別エッセイが訳者流のべらんめぇ調で綴られており、その「ファン以外お断り」とでも言わンばかりの熱量は他を圧する迫力。正直言ってこれらを読む楽しさを味わうためだけでも本書を手に取ることをお勧めする次第なのです。
ルーカスの「論語と算盤」
有り余る映画制作者としての才能を嘱望されながらハリウッドの伝統としがらみに背を向け、当時まったく相手にされなかった不可解な企画『ザ・スター・ウォーズ』を大成功に導いたことで映画界隈の「常識」をひッくり返してしまったルーカス若き日の逸話は有名にして痛快極まりないものですが、それにつけても本書で印象的なのは彼の映画制作者としての熱い思いとビジネスマンとしての冷徹極まる市場把握の妙です。
ルーカスはTVシリーズ『フラッシュ・ゴードン』を筆頭にコミックやSF作品の数々から偉大なファンタジーを受け継いだ芸術家であるばかりではなく、優れた経営者であった父ルーカスSrからシビアなビジネス・センスを受け継いでおり、『スター・ウォーズ』という作品は単に血湧き肉躍る冒険譚の数々への憧憬や執着によってのみ生まれたのではなく、革新的な映像を生み出し得る確かな映画制作技術に加えて、刻々と変わりゆく映画市場やニーズを見極める視線、そして当時ほんのオマケ程度でしかなかったマーチャンダイジング(商品政策)の可能性に目を向けその分野の先駆者となった先見の明といった夢と現実、情熱と冷徹のバランスの果実であったのです。
本書は多くの詳細かつ具体的な数字を駆使することで、『スター・ウォーズ』の成功が映画史上に残る傑作を生み出した文化的快挙であったのみならず、一人の起業家がその身代すべてを賭けて展開したビジネスの成功という経済的快挙でもあったことを読み手に思い起こさせ、徹底的に思い知らせます。
ジョージ・ルーカスという映画人は、それだけならば単なる夢想に終わってしまう無垢なイマジネーションと、これまたそれだけならば単なる無味乾燥な小理屈で終わってしまう冷徹な市場分析という、本来ならば光と闇のごとく相反するものにバランスをもたらした「選ばれし者」と言えるのかもしれません。
彼は、今のアメリカの若者のヒーローは誰だろうかと見回してみた。そして、刑事コジャックやダーティ・ハリーのしかめッ面に思い至って、彼等を可哀そうだと思った。
「僕が〈スター・ウォーズ〉を制作した最大の動機は」と彼は言う。「今の世代に、かつて僕たちも体験したあの理屈抜きのファンタジー世界を提供することだった」
彼は、観客たちがシニカルな問題意識を孕む作品に飽きていることを感じ取ったのだ。
彼等はもっと楽観的なフィーリングへ浸りたがっていた。そして、何よりも大切なのは、観客が娯楽を求めているという事実である。
”斜に構えた皮肉な映画から何か学ぶことはできても、それを基盤に生きていくことはできない”
しかし優れたバランス感覚によって成し遂げられた偉業は、それによって彼自身のバランスを崩すことになって行くのでした・・・。
我をくぐる者は・・・
「ジョージは非常に道徳的で、物事を正しく進めようとする強い意志の持ち主だった。そして、決して許さないという旧約聖書的な人物だった」
思慮深く無口で控えめでシャイ。しかし自分のこだわりを曲げず、一度受けた屈辱は二度と忘れない執念深さを併せ持つルーカスはその空前の成功を手にする過程で、あるいは手にした後に、実に多くの人々とのすれ違いやぶつかり合いを経験したことが本書では克明に記されます。愚劣なハリウッドとの戦いの根城であった映画制作会社「ルーカス・フィルム」もまた勝利の果てに肥大して「新たなる帝国」として君臨するに至り、そのあり方に疑問と反発を抱いた近しい人々は彼の元を去りました。
本書終幕で印象深いのは成功の代償として大きな傷を負い「孤独な皇帝」となったルーカスの醸し出す孤影です。功罪多くを為した挙げ句居城ザナドゥに隠棲した市民ケーンを彷彿させるルーカスはしかし、自らが生み出した特撮技術集団ILMによる飛躍的な映像技術の進歩に刺激され、かつてその過酷さから二度とその道を歩むまいと誓ったはずの映画監督という「地獄の門」を再びくぐる決意を固めたのでした。
「〈スター・ウォーズ〉には、生意気な少年たちが”僕は凄い話をしたいんだ”と言いながら、”オーケイ、それをやるにはどうすればいいんだ?”という問いへの答えもないのに、大胆なジェスチャーを発したという面がある」
「ついに、本物のスリルを味わえる時が来た。それが、再び僕を仕事に戻る気にさせてくれた。ただ愉しむためにね」
『ファントム・メナス』公開を1年後に控えた1998年刊行の本書は、ルーカスの意気込みとキャスティングをめぐる業界の騒動を紹介することでその幕を下ろします。かつて栄光に包まれた「選ばれし者」が再び選んだ「地獄への道」が彼になにをもたらすのか、当時の人々は知る由もありません。しかしそれから四半世紀を経た私たちはどうでしょう。新三部作の公開、ルーカス・フィルムのディズニーへの売却、続三部作の公開、今なお続々と展開する各種スピンオフ作品群の数々・・・。
当時とは比較にならぬ目もくらむような『スター・ウォーズ』史の変遷を知り、そして追い続ける私たちは、多くの人々に傷を負わせ負わされ、またもやスリルを求めて奔走する「映画小僧」の姿にどのような感慨を抱くのでしょうか?
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