スターウォーズ・フィギュア45年史〈Episode 1:未知との遭遇(~’78)〉【トピック】

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小説、コミック、ゲーム・・・。映画『スター・ウォーズ』をめぐる派生スピンオフ商品は膨大な数を誇り、多くのメディアで私たちの目を愉しませ心を沸き立たせてくれます。そしてそれら派生商品たちのなかでもっとも古く、もっともファンたちの心を愉しませ、そしてもっとも多くの収益を誇ってきたものの一つがアクション・フィギュアに始まる関連グッズではないでしょうか?

2023年現在、映画『スター・ウォーズ』シリーズが生み出した収益累計は実に約70億ドルと言われています。そしてスター・ウォーズ・フィギュアが生み出した収益は、なんとその倍にあたる約140億ドルと言われています。本記事では映画公開に少し遅れて世界に登場し、映画以上の旋風を巻き起こしたと言っても過言ではないスター・ウォーズ・フィギュアの世界をひも解いてみたいと思います。

~1977年〈映画グッズ暗黒時代〉

「こんな映画がヒットするわけがない」

後に世界的大ヒットを叩き出し、映画産業の常識を覆すことになる映画『スター・ウォーズ』も制作過程においては酷評と冷遇の限りを受けていたというのは有名な逸話ですが、同じく後に世界的大ヒットを叩き出し、玩具産業の常識を覆すことになるスター・ウォーズ・フィギュアもまた、酷評と冷遇の限りを受けながらこの世に生を受けることとなったのでした。

「映画グッズなど売れるわけがない」

ジョージ・ルーカスの先見の明を示すものの一つにグッズ展開つまり商品政策マーチャンダイジング」の重視が挙げられますが、1970年代当時の常識においては「関連グッズ展開の権利」など微々たる収益すら保証しかねる「クズ条項」の一つに過ぎませんでした。

実際ルーカスと20世紀フォックスとの間で『スター・ウォーズ』制作に関する契約が結ばれた際、フォックス社はルーカスら制作陣への安い報酬と引き換えに”不可解にも”彼らが要求したマーチャンダイジング展開、サウンド・トラック販売、続編制作などの権利を明け渡したことで後に大いに後悔したということです。

しかし当時の映画界がルーカスらを「不可解」と断じたのには確かな根拠がありました。なぜなら当時においては本当に、「映画グッズなんて売れなかった」のですから・・・。

『ドリトル先生』の悪夢

当時『スター・ウォーズ』グッズ展開を白眼視した人々は決して単なる頭の固い怠慢な人々ではありませんでした。現代の私たちから見れば彼らの不可解な反応にも、確固たる「負の実績」に裏打ちされていたのでした。

いまも続く大手玩具メーカーであるマテル社は、かつて『スター・ウォーズ』と同じく20世紀フォックスによって配給された映画『ドリトル先生 不思議な旅』関連グッズのマーチャンダイジングに乗り出したもののその結果は惨敗。映画の興行不振によってフォックス社は数百万ドルもの損失を被り、マテル社もまた制作した300種類にも及ぶ関連グッズは在庫の山と化し、なんと約2億ドルの損失という恐るべき記録を残したのです。業界最大手を襲った悲劇は同業他社をも大いに震撼させ、以後「映画関連グッズ」は損害をもたらす鬼門として恐れられたということです。

もちろん玩具というものはいつの世も子供たちを魅了し、良質なミュージカル映画である『ドリトル先生』も駄作とはかけ離れたもののはずでした。実際60年代を覆った大恐慌時代にも各種映画作品の関連グッズは売れに売れ、多くの玩具メーカーの懐を潤していたはずでした。

しかしその多くはディズニー作品や『600万ドルの男』、『チャーリーズ・エンジェル』といった「テレビ映画」のグッズだったのでした。そう、かつて幼き日のジョージ・ルーカスもその虜となったように、当時のアメリカ社会はもはや「テレビの時代」であり、映画は既に娯楽の王様の座を退いていたのです。

そして家庭用ビデオも普及していなかった当時の子供たちにとって、劇場で一度観れば終わりの映画よりも毎週新たなワクワクをもたらしてくれるテレビ映画のキャラクターたちの方が遥かに馴染み深いものになっていたのでした。このような状況の市場に「映画関連グッズ」の入り込む隙間はない、というのは決して頑迷でも的外れでもないまっとうな判断だったと言えるでしょう。

未知との遭遇〈ルーカスフィルムとケナー社〉

ジョージ・ルーカス(左)とバーニー・ルーミス(右)

ルーカスが映画制作にしのぎを削るのと並行して、ルーカスフィルムの広報担当チャールズ・リピンコットと20世紀フォックスのライセンス契約担当者マーク・ぺヴァーズは『スターウォーズ』グッズのタイアップ先を求めてアメリカ中の玩具メーカーとの折衝を重ねますが、「悪夢」の当事者マテル社は当然NO。

マテルと並ぶその他大手メーカーはもちろんそれらに次ぐ中小メーカーからさえ無慈悲に手を払いのけられるなか、双方にとって奇跡的にその手を握りしめたのが後にスターウォーズ・フィギュアの代名詞となるケナー社Kenner Productsでした。

当時大手食品メーカーのゼネラルミルズの傘下にある中小玩具メーカーに過ぎなかったケナー社ですが、そこで働く人々はルーカスと並ぶ先見の明の持主であったようです。特に社長バーニー・ルーミスが下した一つの決定は、後のアクション・フィギュア界の新たなるスタンダードを創出しました。

運命の3.75インチ

当時アメリカを席巻していたドール/フィギュアといえば「バービー」「G.I.ジョー」に代表される全長12インチ(約30センチ)か8インチ(約20センチ)、布製の衣装をまとう「着せ替え人形」でした。しかしその基準で『スターウォーズ』世界を表現しようとすれば大きな問題が立ちはだかります。そう、

大 き す ぎ る

のです。『スターウォーズ』で魅力を放つのは登場人物だけではありません。XウィングやTIEファイター、ミレニアム・ファルコン、果てはデス・スターといった多彩なビークルの数々もまた商品展開を担うべき重要な存在でした。しかし30センチものフィギュアに対応するビークルを作るとすれば、その大きさはゆうに数メートルにもなりかねず、そのような製品は作る側はもちろん買う側にとっても持て余すこと甚だしい代物となってしまいます。こればかりは「Size matters not.大きさは関係ないとは行きません。

「ならばこれぐらいのサイズでどうだ」

と言ったかどうか、部下の苦渋を知った社長ルーミスはおもむろに指を広げてサイズを示し、物好きにもその幅を採寸した主任デザイナーのデイブ・オカダによって割り出された数字が、後々までアクション・フィギュアのスタンダードとなる3.75インチ(約9.5センチ)であったのです。

これはサイズ問題の解消にとどまらない「進化」をフィギュア界にもたらします。大幅なサイズダウンは従来のようにキャラクターの衣類を布地で制作することを難しくし、代わってプラスティックの素体と同じく鋳型造形モールドによって衣装を表現するという手法を取ったことでフィギュアのディティール向上に繋がり、やがてその造形クオリティは大人のコレクターをも唸らせるほどの再現度・完成度へと向かい、今に見られるリアル志向フィギュアへと繋がる一里塚となったのでした。

1978年〈記念すべき初商品! それは・・・〉

様々な革新を孕みつつ、ついにこの世に誕生したスターウォーズ・フィギュア。しかし記念すべき初商品はなんと空箱でした。ただでさえライセンス契約が公開数か月前というギリギリのタイミングであったことに加え、粗製乱造によってブランドイメージを損なうことを恐れたルーカスフィルム側との細かい折衝、そもそも商品制作そのものに多くの手間暇がかかった等といった諸事情によってその製作は遅れに遅れ、映画公開日はもちろん玩具メーカーにとっては最大の書き入れ時であるクリスマスシーズンにも間に合わないという危機的状況に陥ったのでした。

そんなケナー社がとった苦肉の策は、なんと「空箱の販売」という恐るべきものでした。『スター・ウォーズ』フィギュアを求める少年少女たちは皆クリスマスプレゼントとしてタイトルロゴとお目当てのフィギュアの写真が印刷された空っぽの箱を買い与えられ、その中に収められた引換券をケナー社に送付すれば翌年2月から6月にかけて念願のキャラクター4体をゲットできる! という型破りな商品は「先行販売セット」とでも呼ぶべき「Early bird certificate package」と称され、多くの不良在庫を抱えたということです。

「Early bird certificate package」外装
「Early bird certificate package」中身

空箱を買わされた上に肝心の商品到着は遅くて半年後という無茶な展開の当然の末路という他はありませんが、現在ではこれら「不良在庫」たちは「記念すべき初スター・ウォーズ・フィギュア」として目もくらむプレミア価格で取引されています。

その後45年にも渡って大いなる進化を遂げながら私たちファンの心を沸き立たせるスター・ウォーズ・フィギュアはこのように多くの波乱とともに受胎し、多くの波乱にまみれながらもどうにかこうにかこの世への「分娩」を果たしたのでした。「空箱」に始まるケナー社製フィギュアはこの後、各エピソード公開に準じて多くのバリエーションを展開しながら総計約2億5000万個もの数を売り上げ、今でも「オールド・ケナー」「ヴィンテージ」と呼ばれてファンたちの熱い視線を受け続けているのです。

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