『スター・ウォーズ 善と悪の哲学』〈哲学はフォースのように〉【関連書籍】

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数々のSFやファンタジー作品に登場する様々な事象を実際の科学に当てはめて論じる『空想科学読本』という著作がありますが、本書はSWで展開する様々な思想を実際の哲学に当てはめて論じる『空想哲学読本』とでも呼ぶべき一冊と言えるでしょう。

哲学などと言ったって何も難しく考えることはないのです。哲学とは本来、人間が考え感じる事々の根底にある「普遍的なもの」を追い求めることにその本義があります。ここにも、そこにも、あそこにも、あまねく存在するフォースのように、私たちが意識していないだけで常に感じ、考え、触れているものなのです。

EPISODEⅠ「お前の父だ」 人は自由なのか、運命は絶対か

SW物語を貫く重要なキーワードの一つ「運命」というものを、先人たちは如何に捉え、如何に考えてきたのでしょう? 『オイディプス王』のように、どう足掻こうと人は運命から逃れられないのでしょうか? 人は運命の操り人形に過ぎないのでしょうか? それとも人は運命の糸を断ち切って自由に振舞うことが出来るのでしょうか? それとも人間の自由意志というものすら、運命によって織り込み済みの行動に過ぎないのでしょうか? そもそも「運命」などというものは本当に存在するのでしょうか?

 ―You’re fulfilling your destiny, Anakin.

EP3にて、パルパティーンからアナキンへ


 アナキン・スカイウォーカーは暗黒面に堕ちるべく定められた呪われし存在だったのでしょうか。それとも・・・

―Luke, it is your destiny.

EP5にて、ベイダーからルークへ


ルーク・スカイウォーカーは暗黒面に堕ちるべき定めに打ち克った英雄だったのでしょうか。それとも・・・

本項で最も印象的なのはサルトルの唱えた実存主義。成育環境や性格、動かし難い立場や事情などというその人自身にはどうしようもない「本質」を乗り越えて自らの判断で言動を意志すること、それこそが「実存」であり、人は自ら選んだ「実存」によってこそ評価されるべきと言った考えであるようです。なんというSWを体現するような思想でしょう。極悪人の息子であろうと、半生をならず者として生きてきたのであろうと、人は己自身の決断によって何者にも変わり得るというわけです。

本項では他にも運命を神慮と捉えて物事をあるがままに、世界と自分を客観的に受け容れることの重要さを説いたストア派のエピクテトスの思想も紹介されます。これはこれで物事を「フォースの意志」として受け容れるジェダイの姿勢を彷彿させますが、それにはまたポーランドの哲学者ハンナ・アーレントの言葉「死んだような従属」に堕するという「暗黒面」もあるようです。彼女が評した、職務のために「仕方なく」ユダヤ人たちを虐殺したナチスのアイヒマンのように。またはクラウド・シティを守るために「仕方なく」友人を裏切ったランドのように。

また本項ではよりSW世界と親和性の強い東洋思想からフランスに禅の思想を広めた弟子丸泰仙の言葉を介して「カルマ(業)」思想も紹介されます。「運命」の書き手が神もしくは神々であるとすれば「カルマ」の書き手は自分自身。何をしようと、または何をしなかろうと、必ずその「報い」はやって来るのだと。銀河の動向に背を向け、「何もしないことを選んだ」にも拘らず帝国軍に殺害されたラーズ一家のように。どうやら「運命」にしろ「カルマ」にしろ、人は必ず己のアクションに対するリアクションを覚悟せねばならないようです。

EPISODEⅡ「フォースのダークサイド」 悪はどこから来るのか

SWを象徴する世界観、つまり善と悪、光と闇という勧善懲悪の世界観の源流が問われます。著者が紹介するのは3世紀ペルシャで興ったマニ教(マニケイズム)の思想。この世には善の神と悪の神が存在し、この世界は両神の闘争の場であるというのです。フォースの光明面と暗黒面がせめぎ合うSW世界のように。しかしマニ教はキリスト教によって異端として断罪されて忘れ去られ、いまもマニケイズムと言えば単純な善悪二元論の代名詞として軽蔑される傾向にあるということです。

では全知全能の神が創造した世界になぜ悪が存在するのでしょうか。神が悪を「防げない」のなら神は無能であり、悪を「防がない」のなら神はロクデナシと言えるでしょう。16世紀の哲学者ヒュームは神の存在、そして善悪の区別や因果関係に大きな疑問を投げかけ、マニケイズムにこの世の混沌を説明する有力な仮説を見出しさえしたということです。

「真の結論は、あらゆる事物の根源的起源がこれらの一切の諸原理にまったく無関心であり、(中略)悪より善を重視するということではないのだ」

とヒュームは説いたそうです。フォースとは強大な力場に過ぎず、そこには光も闇もないと説いたパルパティーンを彷彿させはしないでしょうか?

では形而下的な、つまりもっと下世話な悪はどうなのでしょう。プラトンは人がいわゆる悪に走る原因をその肉体に求めたようです。人間は肉体を持つゆえに様々な欲求に駆られて悪を成すのだと。権力を欲して悪を為したパルパティーンのように、妻と子の生を望んで悪を為したアナキンのように。故に人は魂が肉体という牢獄から離れたときに初めて自由になるのだともいいます。まるで息子によってどす黒い甲冑を取り外されて光に還ったヴェイダーのように。

―Luminous beings are we, not this crude matter.

EP5にて、ヨーダからルークへ

光り輝く魂とそれを閉じ込める昏い肉体。著者はこの対比的な一文にもマニケイズムの影響を指摘しています。

ではそもそも、善や悪とは何を以て判断するのでしょう? そこで著者が注目するのはSWの出世頭ボバ・フェットの言葉。EP5後半でカーボン冷凍されんとするハン・ソロを眼前にボバは、

―He’s no good to me dead.

と発言します。結論だけ見ればボバはハンの命を案じているのです。ボバは無用な殺生を好まぬ善人なのでしょうか? もちろん答えはノーです。生け捕りが条件である賞金首に死なれては彼の儲けがフイになるからに過ぎません。著者はスピノザの言葉を引用して、善悪とは所詮その人にとっての欲望のあり方、価値、損得の結果見出されるものに過ぎないという見方を提示します。「ものを善と判断するからそれを得ようとするのではなく、それが欲しいから善と判断するに過ぎないのだ」と。

どうやら善悪というものは人間の人間による人間のための物差しに過ぎないような気になってきます。この世には善や悪など存在しない。すべては Point of view」(見方の問題) に過ぎないのです。

Good is a point of view, Anakin.

EP3にて、パルパティーンからアナキンへ

―Anakin, Chancellor Palpatine is evil!
―From my point of view, the Jedi are evil.

EP3にて、オビ=ワンとアナキン

なるほどこの世には所詮客観的な「悪」は存在しないのかもしれない。しかし主観的な「誰かにとっての善悪」は確実に存在します。でなければ人は人に傷つけられることも、人を傷つけることもないでしょう。著者はユングの言葉を引用し、自らの暗黒面を自覚する事が最も肝要なのだと説きます。

「自分たちには心の影の面などないといって自慢する患者がいる。自分の心のなかには葛藤などないと断言する患者がいる」

本書より引用

―There is no conflict.

EP6にて、ベイダーからルークへ

葛藤が存在しないと言い切り得る、思考を停止させた狂信。それこそが「悪」の正体なのでしょうか。闇に微睡みながら多くの人々に悪を為したベイダーのように。

EPISODEⅢ「フォースと共にあれ」 剣と哲学

ジェダイのモデルである侍の思想に迫ります。剣豪柳生宗矩、そして宮本武蔵の言葉によれば武士道の基本姿勢は「他を制して我が道を往く」ことであり、この世を闘争の場と捉えるニーチェもまた生きることは「弱き者を傷つけ制圧する事に過ぎない」と言っていたようです。強くあることを良しとした侍。それをモデルとしたジェダイは力を至上のものとしていたのでしょうか? 著者はそうだと言います。いやそれはシスの生き方ではないのでしょうか? そうではないと著者は言います。どういうことでしょう?

 著者はプラトンのゴルギアスを例に、力を持つという事、そしてジェダイとシスの力への向き合い方の違いを分析します。主人公ソクラテスの論争相手は言います。「幸福とは人や物を思いのままにすることが出来る力を持つことである」と。そうすればその者に不可能はなくなり、欲望のまま好き放題に生きることが出来る。一方ソクラテスは言います。欲望とは自分で制御できないものであり、それに身を任せて生きることは例えば疥癬に罹った者が身体を掻き毟るのに似ている。疥癬患者が掻きたい所を自由に掻けるからといって、その者は幸福であるのか。むしろ掻けば掻くほど痒みは耐え難いものとなる。シスは自らの欲望のために力を行使し、それによって次なる欲望を呼び込む。ジェダイにとっての力とはむしろ自らの欲を制御する強さのことである。シスは力に操られることで終わりなき欲望の海を漂流し、ジェダイは力を操ることで心の平穏を獲得するのだと。

―Power! Unlimited power!

EP3にて、パルパティーン

―Remember, a Jedi can feel the Force flowing through him.
―You mean it controls your actions?
―Partially. But it also obeys your commands.

EP4にて、ルークとオビ=ワン

無限の力に全てを委ねて酔いしれるシス。無限の力を制御することに心を砕くジェダイの姿が対比的に浮かび上がります。その他にもジェダイの哲学は時に論争の種にもなります。


―And sacrifice Han and Leia?
―If you honor what they fight for…yes.

EP5にて、ヨーダとルーク

自らの感情よりも義務を優先する姿勢は非人間的なのではないか? 否、カントによれば愛という崇高な感情もまた愚行の元凶となり得るといいます。妻と子を守らんがために多くの人々を恐怖に陥れたアナキンのように。そしてジェダイを体現する言葉と言えば次の一句もそうでしょう。

―Feel, don’t think. Use your instincts.

EP1にて、クワイ=ガンからアナキンへ


 考えるよりも感じることを優先する姿勢は単なる反知性主義ではないのか? 「我思う、ゆえに我あり」とは何よりも熟考と分析を重んじるデカルトのあまりにも有名な言葉です。しかしその一方で「音符が並んでいたら、音符は音符のままである。だがすべてが1つになれば、そこには命が吹き込まれる」と、激動のうちに過ぎる人生に在って一瞬の直観や全体の連続性と流れに重きを置くベルクソンの言葉も紹介されます。そこで再びこの一句、

―Remember, a Jedi can feel the Force flowing through him.

EP4にて、オビ=ワン

やはりジェダイの哲学は後者とのほうがより親和性が高いようです。そしてこれは真剣勝負に於ける直観の重要性を解く武士道や既出の弟子丸による禅の精神など、東洋思想の濃い影でもありそうです。

EPISODEⅣ「こうして自由は喝采のなかで死ぬ」 最良の政治システムとは

そんなジェダイとは対極に他を支配することにパラメーター全振りなシス。その代表格はなんといってもパルパティーンでしょう。彼は如何に無力に腐敗していようとも仮にも共和制国家を転覆させて独裁帝国を築いた「悪の皇帝」です。しかし彼は無理やり力ずくで「国盗り」を行ったのでしょうか? 答えはもちろんノー。人々の多くは望んで彼を独裁者の座に就けたのでした。

本項で紹介されるのは16世紀フランスの政治哲学者ラ・ボエシ。彼はは『自発的隷従』という言葉で一人または一部の人間の前に自ら膝を屈する人々の心を喝破したようです。あるいは恐怖によって仕方なく。あるいは安寧を求めて進んで。

―In order to ensure the security and continuing stability, the Republic will be reorganized into the first Galactic Empire! For a safe and secure society.

EP3にて、パルパティーン

かつて「大日本帝国万歳!」や「ハイル・ヒットラー!」を叫んだ人々は決して性根の腐った悪人などではなく、ただ自分たちの生活の安定を望んだ、もしくは多勢に逆らうことを恐れた人々であったのでしょう。平和な惑星ナブーの人々でさえ、賢女王アミダラの任期延長のために憲法の改正を望むことで自ら独裁制への扉を開けようとしたのです。斯様に人々は想像を絶するほど安易に自らの自由を投げ出し得る。民衆とはこれほど儚く頼りないものなのか。だからマキアヴェッリはその現実を直視して苛烈なまでの政治論を説き、理想の政体を説いたプラトンもまた民主制を「問題多き政体」としたのでしょうか。

安全を求める余り自由を手放すのは愚行なのでしょうか? 自由を重んずる余り安全を疎かにするのは愚かなのでしょうか? そして自分たちの危機を前にして道を踏み外すのは「衆愚」の蒙昧に過ぎないのでしょうか?

―The Jedi Council would have to take control of the Senate in order to secure a peaceful transition.

EP3にて、メイス・ウィンドゥ


ジェダイは高潔にして銀河の守護者であると思っていた人々は、この言葉をどう捉えればいいのでしょう?

さて、このペースで行くとあまりにも長文記事となってしまうので、ここからは少々駆け足でのご紹介といたしましょう。上記のようなことをつらつら考えてしまうほど、本書は多くの知的刺激に充ちているのです。

EPISODEⅤ「戦争で偉くなった者はいない」 戦争は善か悪か


「戦争は悪である」とは普通一般的な教育と感性の持ち主であれば誰も異存のないところでしょう。しかし人類の歴史は過去現在、そしておそらく未来に渡って戦争によって埋めつくされています。いったい人間は本当に戦争を悪であると思っているのでしょうか? また戦争が悪であることに異論はないとして、では平和は本当に完全無欠の代物なのでしょうか? 本当に人は戦争で偉くなる事はないのでしょうか? それともそう考える事すら問答無用に一刀両断さるべき愚問なのでしょうか? 先人たちは戦争をどのように考え、評したのでしょう

EPISODEⅥ「君の信仰の欠如には困ったものだ」 宗教は消滅すべきものか

神なきSW世界にあって宗教とは万物を結びつけるフォースでしょう。しかし旧三部作の世界ではそれはすでに忘れ去られた過去の遺物であり、Hokey religionsでありancient religionと揶揄される始末です。EP6では無邪気で蒙昧なイウォークたちが3POを神と間違え、危うく銀河の英雄たちをバーベキューにするところでした。宗教とはもはや古臭いまやかしものに過ぎないのでしょうか。マルクスが喝破したように、宗教とは人類が克服すべきアヘンに過ぎないのでしょうか?人類は宗教を捨て去るべきなのでしょうか?先人たちは宗教をどのように考えたのでしょう?

EPISODEⅦ「野蛮なやつらめ」 技術は恐れるべきものか

SW物語はテクノロジーに冷淡に思えます。オビ=ワン・ケノービはブラスターを野蛮な武器として軽蔑し、帝国軍のAT-STはジャングルの未開の民たちによって無様に撃破されて行きます。創造者ルーカスの処女作というべき映画『THX-1138』もまた、高度に進んだテクノロジーによって人々が支配され抑圧される閉塞感に充ちた作品でありました。しかしジェダイの命たる「文明的な」ライトセーバーもまたテクノロジーの結晶であり、愛すべき狂言回しであるR2と3POもまたテクノロジーの申し子です。そもそも高度なテクノロジーなきSW世界など想像するも不可能でしょう。果たしてSW物語はテクノロジーをどう捉えているのでしょう? そして先人たちは?

EPISODEⅧ「2つの顔と2つの名を持つ者」 アイデンティティの問題

パルパティーンとダース・シディアス。アナキン・スカイウォーカーとダース・ヴェイダー。シスの暗黒卿たちはその殆どが二つの名を持ち素顔さえも隠しています。疾しいことのある悪党ゆえ当然・・・いや、しかし高潔なジェダイたちだって普段はフードで顔を深く隠し、EP4のオビ=ワンはベンという偽名を名乗っています。両者は何を、何故、隠しているのでしょう? 己を隠すことの意味は?そもそも「己」とはなんなのか。 先人たちのアイデンティティを巡る思索とは。

EPISODEⅨ「あなたなんてきらいよ」 多様性は社会の障害となるのか

人類、異星人、機械。SW世界は多くの種族が混然一体となって成り立っています。見た目も生態も全く異なる生物たちがまったく自然に同居しあっているのです。そこには現今の社会が求めてやまない「多様性」が実現しているように見えます。多様性とはなんでしょう。それと対立する画一性は非難されながらもなぜ未だ多くの人々を惹きつけるのでしょう。我々は本当に画一を嫌い、多様を愛しているのでしょうか。なぜ画一的で憎むべき差別主義の温床である帝国に「カッコよさ」を感じるのでしょう? 先人たちは社会に多様性を担保するためにどのような方法を模索したのでしょう。

オマケ:オタクのお小言

本書は多くの刺激に満ちた名著なのですが、オタクとしては読み過ごすにはあまりにモヤっとする記述が散見されました。以下にそれらを列挙してイジり、ささやかなオマケとしようと思います。でもまぁ、ありますよね、こういう勘違い。

ルークの友人ビッグスもホスの戦いで「おれ1人でも帝国すべてを相手にしてやれそうな気がする」と言っている。 

本書P92

それはダックのことですね。

ベイダーは両手を失い、メカニックな義手をつけている。とはいっても彼は、手を使わずに人を絞め殺すことができる。モッティ提督の死がそれを証明している。

本書P198

モッティ提督はターキンの大人の対応によって無事生還しておりますね。

グリーヴァス

本書P238

うむ。

最悪なのはダース・モールだろう。エピソード1『ファントム・メナス』に登場する人気のないキャラクターだが、 

本書P52

著者はジャー・ジャーとでも間違えたのかしらん。

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