ジェダイの矛盾とシスの盲点〈愛に生き、愛に亡じにし者ども〉【トピックス】

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ジェダイは「滅ぼされた」のか?

SW最大級のイベントの一つとして「ジェダイ騎士団の滅亡」が挙げられます。シスの陰謀によって、そして選ばれし者として将来を嘱望されたアナキンの裏切りによって、銀河の平和の守護者たるジェダイ騎士団は滅ぼされたと理解されるイベントですが、私にはそう捉えることができません。

彼らの滅亡は敵対者の陰謀や裏切者による攻撃で引き起こされたのではなく、彼ら自身が孕む根深い矛盾によって引き起こされたのです。つまりジェダイはシスによって「滅ぼされた」のではなく自分自身の手で「自滅していった」のです。では何によって? 「愛」によって。

「ジェダイは愛してはならない」

ジェダイ滅亡に大きくかかわったアナキンは、幼いころに生き別れとなった挙げ句に非業の死を遂げた母を救えなかった無念から「愛する者を失いたくない」という気持ちの人一倍強い人物でした。そんな彼が愛する妻パドメの死を予知したことで大きく心を揺るがせ、シスの誘惑に屈して暗黒面に転落。暗黒卿ダース・ベイダーとなってジェダイたちを虐殺し、銀河に恐怖をまき散らすこととなったのでした。

アナキンよりもはるか昔に生きた草創期のジェダイたちはフォースを通じて得られる強大な力を感情に任せて濫用しないため、「愛してはならない」「執着してはならない」という戒律を制定し、銀河を統治する責務を負う共和国元老院の決定に従ってのみ自分たちの力を行使するという、立憲君主制のような行動規範をつくることで自分たちの行動に感情が入り込むことがないよう細心の注意を払いました。

愛によって取り返しのつかない過ちを犯したアナキン・スカイウォーカーの転落劇はそんな彼らの正しさを証明する事例なのでしょうか? 私はそうは思いません。というよりも彼らのこの生き方こそが、そしてその根本にあるこの戒律の存在こそが、ジェダイが孕む矛盾の源であり滅亡の種だったのです。

ヨーダの「愛」

『クローンの攻撃』クライマックスで窮地に陥ったジェダイたちを救うため、ヨーダはクローントルーパーの大部隊を率いてジオノーシスを強襲します。これによって銀河を混乱の極みに陥れるクローン大戦の火蓋が切って落とされましたが、本作冒頭でジェダイたちは戦争への協力を拒否していたはずです。いったい何が彼らの信条を変えてしまったのでしょうか? 手掛かりとなるのは本作のノベライズ版で語られるヨーダの一言。

「取りうる道はふたつあった。だがより多くのジェダイを取り戻せる道はこれしかなかった」

ノベライズ版『クローンの攻撃』より引用

「ふたつの道」とは「戦争に関与する道」と「戦争に関与しない道」を指すでしょう。いかにジェダイが元老院の要請によって自らの去就を決めると言っても、彼らの信念に悖る場合それを拒否し得たということになります。ということはヨーダは明らかに仲間たちの命を救うために、これまでの信念を枉げて戦争に関与する道を選んだことになりますが、その根底には「仲間への愛」があることは明らかです。「仲間の命を救いたい」というジェダイにあるまじき執着、しかし人としては当然の感情によって引き起こされた行動の結果はどのようなものだったでしょうか?

泥沼のクローン戦争の前線指揮を行うこととなったジェダイたちは銀河中に広く薄く散らばることとなり、数えきれないジェダイたちが肉体的にも精神的にも消耗を強いられました。その結果パルパティーンによるジェダイ抹殺指令「オーダー66」の遂行を容易なものにし、ジオノーシスで窮地に陥った200人どころではない多くのジェダイたちが犠牲となったのでした。そしてそれ以上に「銀河の調停者」「平和の守護者」として尊敬を集めていた彼らの権威や信望を揺るがせて行くことにも繋がりました。ヨーダの「仲間への愛」は皮肉にも彼が愛した仲間たちの滅亡を早めてしまったと言えるのではないでしょうか?

メイス・ウィンドゥの「愛」

そしてメイス・ウィンドゥらジェダイ首脳部によるパルパティーン暗殺未遂事件が、彼らの滅亡を決定的なものにします。共和国最高議長パルパティーンがすべての黒幕であるシス卿であると突き止めたメイスたちはパルパティーンの逮捕を試み、抵抗する彼と交戦して危うく殺害する間際まで追い詰めたのです。

忘れてはならないのはパルパティーンはジェダイにとっては問答無用で滅ぼすべきシスの暗黒卿であったとしても、社会的には合法的に選出された国家のリーダーであったということです。ノベライズ版「シスの復讐」でもパルパティーンは「哲学上の意見の相違」を理由に相手の殺害を目論むジェダイの異常性を糾弾しますが、これはまったく的を射た指摘と言えるでしょう。

なぜメイスたちはこのような暴挙に走ったのでしょう? 同ノベライズ版ではその背後にあるメイスの「文明への愛」に関する言及が見られます。彼は無法や無秩序がもたらす悲惨をよく知るジェダイでした。そして自らを守る手段を持たない弱者を守れるのは「文明」による統治であり、その文明を守ることができるのは銀河全体を統治する共和国であるという確信を強く持っていたのです。

弱き者を愛し、弱き者を守りうる文明を愛し、文明を守りうる共和国を愛したメイスの心は人としては全くもっともなものと言えるでしょう。しかし自らが愛する共和国を私物化しようとするシス卿への怒りに燃えたとき、この正義のジェダイは越えてはならない一線を越えてしまったのです。

現職指導者に対する暗殺未遂は既に大きく凋落していたジェダイの失墜を決定的なものとし、オーダー66による肉体的抹殺の必要もないほど彼らを社会的に抹殺しました。メイス・ウィンドゥは自らの愛によってジェダイ騎士団を滅亡に追いやってしまったと言えるのではないでしょうか?

矛盾を生きるジェダイ

指導的立場にありながら自ら禁じた「愛」によって自らを滅亡へと押し進めてしまったヨーダとメイスですが、彼らの過ちを指摘する以前に彼らの先達である古のジェダイたちはなぜ自らの力を銀河の守護に用いようとしたのでしょうか? フォースという不思議な力場を研究する集団として発足したという彼らは、そこから引き出される強大な力を銀河の人々を守るために使用することを志しますが、そもそも何かを守るという心情は、その何かに対する愛に他ならないのではないでしょうか? 愛に生きることを選んでおきながら愛を禁じたジェダイ騎士団は、その発足の時点から自らの滅亡に向かうことになる大きな矛盾を抱え込んでいたのです。

「クローンの攻撃」でアナキンは「愛はジェダイの生活の中心」であり、ジェダイは「愛することを奨励されてさえいる」と発言しています。これは反骨的なアナキンの減らず口のように捉えられがちですが、実はジェダイの矛盾を鋭く突いた一言であると言えないでしょうか? 生まれて間もなくジェダイとしての教義を叩き込まれた同胞と異なり、物心ついてからジェダイの教義に触れたアナキンには、愛を否定しながら愛に生きているジェダイの矛盾への捨てがたい違和感があったのかもしれません。

この違和感はアナキンのジェダイに対する不信へと繋がり、結果としてジェダイのみならず銀河中の人々を、そして彼自身をも最大級に苦しめることになる悲劇へと繋がって行くのです。アナキンの裏切りと転向は「暗黒面に堕ちた」という言葉に表されるように彼の堕落で片付けられる問題ではなく、彼とジェダイとの「信頼関係の破綻」、そして彼とシスとの「信頼関係の強さ」にあったのではないかと思うのです。そして彼を救済へと導いたのもまた「信頼関係」にあったのではないかと・・・。

オビ=ワンの「愛」

「密かに愛する妻を死から救うため、より強い力を求めたアナキンはシスの誘惑に屈して暗黒面に堕ちた」というのがダース・ベイダー誕生の経緯を説明する一般的な理解ではないでしょうか。しかし密かに人を愛し、責務と感情の板挟みに苦しんだのはアナキンだけではないのです。公式のアニメ作品「クローン・ウォーズ」シリーズでは、なんと彼の師オビ=ワンにも恋愛経験があり、過去には騎士団を去ろうとすら考えたことがあるという設定が追加されています。

この新設定によって、アナキンのシス転向をめぐる考察はより面白い材料を提供されたことになります。そもそもオビ=ワンはノベライズ版「シスの復讐」で、アナキンを思いやる感情をパドメから「あなたも彼を愛しているんでしょう?」と追及されて何も言い返せなかったという一幕を演じています。それを裏付けるように、ムスタファ―での決闘のあとには瀕死の重傷を負ったアナキンに向かって「お前を弟だと思っていた」「愛していた」という告白さえ行っています。共に他者を愛するというジェダイにあるまじき感情を経験していながら、それでもジェダイでいることを選んだオビ=ワンと、シスへの転向を選んだアナキンの違いはどこにあったのでしょうか?

私はそれを、ジェダイ騎士団との信頼関係にあったと考えます。生まれながらにジェダイとして育ったオビ=ワンにとって騎士団は名実ともに「家」であり「家族」でしたが、物心ついてからジェダイとしての生活に加わったアナキンにとって騎士団は必ずしも唯一無二の存在とは言い難かったでしょう。そして彼がもっとも気遣っていた母の安否に対する苦悩を、「家族」を持たないジェダイたちは理解するどころか「暗黒面に至る道」として危惧していたのでした。

ジェダイの不信

騎士団はリーダーであるヨーダを含め、自分たちには認知できない感情を持つアナキンの入団をそもそも拒否するはずでした。しかしその並外れた潜在能力への期待を捨てる事も出来ず、いうなれば及び腰でこの異分子を受け入れています。

「試しなどいらぬ。やるか、やらぬかだ」

『帝国の逆襲』より引用

とはのちにヨーダがルークに語る名言ですが、皮肉にもこの一言は当時のジェダイたちの失敗の本質を突く言葉とはなっていないでしょうか。一度はその受け入れを認めたにもかかわらず、アナキンの優れた資質と理解不能な一面を天秤にかけたジェダイの重鎮たちは徐々にアナキンに対する不信感をあらわにして行きます。実際「シスの復讐」劇中でヨーダは「(彼が選ばれし者であるという)予言が間違いということもあり得る」と漏らし、メイス・ウィンドゥに至ってははっきりと「彼は信用できない」と言い放っています。

ジェダイたちがアナキンを信用できないでいるのと平仄を合わせるように、アナキンのほうでもジェダイに対する埋めがたい溝を感じていることが明らかです。ノベライズ版『クローンの攻撃』冒頭では若者に成長したアナキンの母の安否に対する不安と、それを相談することもできないジェダイたちとのぎこちない距離感と日々深まりゆくパルパティーンとの篤い信頼関係が詳細に描写されています。

アナキンにとってもっとも重要な感情である愛する者を失うことへの恐れを、ジェダイの戒律とは無縁のパルパティーンは実によく理解していたようです。それもそのはず、ジェダイと同じくフォースと繋がることでその本領を発揮できるとはいえ、シスには愛を禁じてまで感情を抑制する必要などないからです。

アナキンがジェダイを裏切りシスへの転向を決意した真因は、人を愛し、それを失うことを恐れたことそのものではなく、その感情を認めず相談することすらできない者たちへの不信感と、それを認めて受け容れてくれる者への信頼と傾倒だったのではないでしょうか。アナキンの心に広がるジェダイへの不信、それを埋めていったのがシスであるパルパティーンであったこと。それこそが、アナキンにジェダイを見限らせた要因だったのではないでしょうか。

しかしシスは苛烈な実力主義を旨とし、己の野望のためならば師を殺害することすら厭わない修羅たちでもあります。そんな彼らの間での「信頼関係」が、清く美しいものなどではないことは明らかです。

シスの信頼

アナキンとパルパティーンの間に築き上げられた信頼がもっとも顕著に表れるのは「シスの復讐」後半の最高議長暗殺の場面でしょう。凄まじい力でパルパティーンを圧倒しながらもその最後の抵抗に苦しむメイスは、その場に駆け付けたアナキンの姿を見て「選ばれし者」が自分を助けてシスを倒してくれるのではないかという期待を抱きますが、ノベライズ版でメイスは「パルパティーンがアナキンを完全に信頼している」という事実を前に愕然とするのです。実際パルパティーンの助命を訴えるアナキンは間接的にメイスを殺害することとなり、もはや後戻りできずにシスへの転向を誓いました。

この場面と実に好対照なのが『ジェダイの帰還』クライマックスにおける皇帝とベイダーの配置ではないでしょうか。一時的に暗黒面に堕ちたことでベイダーを打ち倒しながらも誘惑を退け、ジェダイとしての道を捨てないルークに業を煮やした皇帝は凄まじい力で彼をなぶり殺しにしようとします。未だジェダイとして自立したばかりのルークは皇帝の力の前になす術もなく打ち据えられ、父アナキンに向かって悲痛な声で助けを求めるのですが、皇帝はベイダーを一顧だにすることなくひたすら嗜虐的にルークを攻撃し続けるのでした。

この場面は実に不思議な光景ではないでしょうか。自分がなぶり殺しにしようと痛めつけ、必死に助けを求めている男の血を分けた実の父親が自分のすぐ背後にいるのです。多少なりとも人の感情の機微を知る者ならば、いかに自分がコントロール下に置いている者とはいえ、万が一彼が「父」としての感情に目覚め、命を賭してでも息子を助けようとするかもしれないと思いはしないでしょうか。

しかし皇帝は背後に佇むベイダーをまったく警戒することがありませんでした。それもそのはず、皇帝にとってダース・ベイダーという男はかつて執着したものすべてを失い、過去の亡霊に囚われているだけの生ける屍に過ぎなかったからです。だからこそ皇帝は「ベイダー」の挙動を窺うこともなく、実にあっけなく「アナキン」によって殺害されてしまったのではないでしょうか。でなければ、作中屈指の実力を誇る皇帝は、ジェダイとして未だ半人前のルークと半ば機械の肉体となったアナキンが2人がかりで打ちかかったとしても太刀打ちできる相手ではなかったでしょう。完全なる「不意打ち」であったからこそ、あれほども簡単に破れ去ってしまったのではないでしょうか。

かつてアナキンと打算に満ちた信頼関係を築き上げることでジェダイに勝利した皇帝は、皮肉にも父と子の間に横たわる打算のない信頼と愛情を理解することができずに敗北したと言えるでしょう。そして妻への愛を発端とする信頼関係の破綻によって生まれたダース・ベイダーもまた、息子への愛情に目覚め信頼に応えようとすることで蘇ったアナキン・スカイウォーカーに打ち倒されたと言えるのではないでしょうか。

皇帝は予期していたよりも大きく弱体化したベイダーへの失望を胸に密かに、時には堂々と「スペア」を探し求め、いよいよルークが彼が打倒されたときにはその眼前ではっきりと用済みとなった彼を殺してその代わりとなれと宣言するのです。シスの「信頼」とは相互に利益があるときにのみ存在し、相手が用済みになるやすぐさま破棄してしまうものに過ぎないのでしょう。皇帝、というよりシスもまた、ジェダイとは違う形で「愛」というものを理解できていなかったのではないでしょうか。たとえ「執着」の方は誰より強く理解していたとしても・・・。

ルークが往く道

ジェダイもシスもともに人間として不可欠な「愛情」を理解・認知することができず、それがために滅んでいったという文脈を通してこの物語を眺めるならば、偉大なる先人たちの意見を退けて父の奥底に眠る人間としての「愛情」を信じたルークの存在が俄然輝きを放っては来ないでしょうか。ジェダイのように非人間的なまでに禁欲に徹するのではなく、シスのように非人間的なまでに欲望を貪るのでもなく、まさに「バランスをもたらす者」として新たなるジェダイの在り方を打ち立て得た存在としてルークを見ることも可能なのではないかと私には思えます。

しかしドラマ『ボバ・フェット』シリーズにおいてグローグーを前に「育ての親に等しいディン・ジャリンとの絆を取るか、いっさいの愛着を断ちジェダイとしての道を取るか」という往年のジェダイたちと同じ二者択一を迫り、続三部作ではベン・ソロの育成に失敗し、もはやジェダイは滅ぶべきと思い定めて世捨て人となってしまったルークの蹉跌もまた、結局は「愛情」に代表される人間らしい感情を我が物とすることのできない不器用な人間たちの興亡の一つ、と見ることもできるかもしれません。

ジェダイとシス。もしかすると彼らは私たちが遠く及ばぬパワーに充ちた魅力溢れるヒーローであると同時に、私たちに遠く及ばぬ不器用な人生を生きることを運命づけられた不幸な人々でもあるのかもしれません。

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