『Shattered Empire』読後感:『フォースの覚醒』、そして『最後のジェダイ』へ…

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※本記事作成時、当方のリサーチ不足にて邦訳版の存在を認識しないまま記事を執筆しておりました。2016年に邦訳版が刊行されておりますのでご興味ある方はそちらをどうぞ。

※本記事はYouTubeでもご覧いただけます。

『ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒』:シークエルへの敷石

本作『Shattered Empire』は、2015年9月9日から10月21日にかけて刊行されたコミック作品であり、『エピソード7/フォースの覚醒』公開直前に展開されたメディアミックス企画「ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒」(Journey to The Force Awakens)の一角を担う作品です。

シークエル三部作において、帝国の衣鉢を継ぐファースト・オーダーが突如として登場したことに多くのファンが戸惑いを覚えたはずです。また、主役世代の大胆な交代が行われたことで、ルーク、レイア、ハンといった旧主人公たちのその後も大きな関心事となっていました。さらに、シークエルからスターウォーズに触れる新規層に向けて「彼らは誰なのか」を説明する必要もありました。

それらをフォローアップするために用意されたのが、映画公開の約3か月前から「ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒」と銘打たれ、相次いで刊行された小説・コミック・設定資料集・児童書などを含む著作群なのです。その中核となるのは小説『アフターマス』三部作であり、皇帝没後の帝国軍閥の相克、シンダー作戦、ジャクーの戦い、未知領域への撤退、そして銀河内戦の終結までを描き、オリジナル三部作の「総決算」とも言うべき内容となっています。この三部作を謂わば「幹」として、同時期を異なる視点や独自のキャラクター目線で描いたヤングアダルト小説『ロスト・スターズ』や本作『Shattered Empire』、そして旧来主人公たちの紹介的な内容の物語をつづったジュニア小説とといった作品たちが枝葉のように展開され、その向こうに『エピソード7/フォースの覚醒』が控えるという構成となっているのです。

老いてなお観客を熱狂させたハン&チューイー
帝国の後継者ファースト・オーダーは”二番煎じ”という悪評も招いた

『Shattered Empire』の構成とあらすじ

さて、本作『Shattered Empire』は『エピソード6/ジェダイの帰還』直後を描いた後日譚的作品です。ただし本作は単なるエンドア後の余話にして『エピソード7/フォースの覚醒』前日譚というにとどまらず、さらに先の『エピソード8/最後のジェダイ』で展開するテーマにも触れ得る非常に興味深い作品であると私は考えています。

物語は、エンドアの戦い直後に見え隠れする帝国軍残党の不穏な動きをルーク、レイア、ハンという三大主人公がそれぞれの立場から追っていく構成となっています。大まかに言えば、ハンは帝国軍残党狩りの過程で未知の指令「シンダー作戦」の存在を知り、レイアは図らずもその作戦に巻き込まれ、ルークはジェダイ復興の道すがら、かつて皇帝の手にあったジェダイの遺産を追う、という流れです。

将軍として部隊を指揮するハン&チューイー
外交任務の道すがら未知の攻撃に晒されるレイア
ジェダイ復興に努めるルーク

そして常に彼らのそば近くで物語を牽引する存在として描かれるのが、後のシークエル三部作において主人公の一角を担うポー・ダメロンの両親、ケス・ダメロンとシャラ・ベイの夫妻です。とくに物語の焦点は、ポーの母であるシャラに強く当てられ、実質彼女が本作の主人公と呼んでも過言ではないでしょう。

ケスはエンドアの戦いにおいてハンが率いた反乱軍特殊部隊の一員として戦った精鋭兵士です。一方シャラもまた、反乱軍精鋭のスターファイター・パイロットとして数々の戦場をくぐり抜け、エンドアの戦いでは〈エグゼクター〉撃沈に貢献したことで印象深いグリーン中隊の一員として活躍しました。つまりポー・ダメロンは、反乱軍きっての精鋭二人を両親に持つサラブレッドということになります。

もっとも、本作の時点ではそれはまだ遥か未来の話です。本作では自由を求めて数多の戦場を潜り抜けてきたこの二人の戦士が、デス・スターの破壊、皇帝とダース・ベイダーの死によって決定的になった反乱軍の勝利を受けて新たな人生の局面を迎えようとしていました。長年「銀河の行く末」のために戦ってきた彼らの視野に、ついに「自分たち自身の行く末」が入り込んできたのです。

しかし、そこに皇帝の死後もなお続く妄執の結晶「シンダー作戦」が立ちはだかります。皇帝は自らの死をもって帝国を終わらせることを良しとせず、帝国の自壊と再生を目論む第一歩として、後のファースト・オーダー創設に繋がることになる「終末指令」を発動したのでした。ケスとシャラは、反乱軍兵士として最後の戦いに巻き込まれていくことになるのです。

エンドアで束の間の再会を遂げるケスとシャラ
二人の息子はやがてレジスタンスのエースとして活躍

本作の魅力

本作はコミック作品かつ全60ページほどの小品ということから、物語自体は非常にシンプルなものですが、だからこそ際立つ魅力もあります。最大最大の魅力は何と言っても美麗かつ迫力あるイラストと言えるでしょう。

アメコミ作品ではカバーアートは優れている一方で本編の作画には癖が強かったり、完成度にばらつきがあったりすることも少なくありません。しかし本作は、カバーアートはもちろんのこと、本編イラストにおいても高い完成度が保たれており、一枚絵として鑑賞するだけでも十分に楽しめる作品となっています。そんな美麗なイラストによって描かれる八面六臂の活躍を繰り広げるルークやレイア、ハンたち旧主人公たちの雄姿は、古参ファンたちの心を沸き立たせ、新規ファンたちの興味をかき立てるに十分なものと言えるでしょう。

また、レイアが図らずも実母の故郷であるナブーを訪れ、父母とゆかりのある文化や歴史に触れる展開や、ルークが追い求める「皇帝が手にしていたジェダイの遺物」が『クローン・ウォーズ』シリーズに登場したあるアイテムとリンクしている点など、オリジナル三部作とプリクエル三部作を強固につなぐ仕掛けも見どころです。

レイアは図らずも父母ゆかりの地に足を踏み入れ、奇妙な因縁にわななく。

とくにレイアが巻き込まれる「ナブーの戦い」は、本作の二年後に発売され、現在も高い人気を誇るゲーム『スター・ウォーズ:バトルフロントⅡ』で描かれた戦いと同一のものであり、同作をプレイしたことのあるファンにとっては、感慨深いものがあるでしょう。

読みどころ1:レイアが背負うもの

そのように多くのファンサービスに満ちた本作ですが、私がもっとも魅力を感じたのは旧主人公たちのそばで戦いを重ねるシャラの視点を通して描かれる「戦いに疲れた英雄たち」の姿です。

とりわけ印象的なのは、戦争指導者として多くの犠牲を背負いながら戦い続けるレイアの姿と、同じく兵として自分自身を犠牲にしながら戦い続けてきたシャラをやさしく戦場から遠ざけようとするルークの姿です。シークエル三部作完結後に本作を読み返した私は、本作が本来導こうとした『エピソード7/フォースの覚醒』以上に、その先に位置する『エピソード8/最後のジェダイ』のテーマへと通じる「種」をここに見出しました。

「戦いに勝った英雄を描くことは非常に難しい」という言葉があります。単に勝利に酔いしれるだけでは非情な戦争屋に過ぎませんし、犠牲を嘆くだけでは英雄としての凄味に欠けます。英雄としての魅力を湛える人物とは勝者としての覇気と、戦争に涙する者の哀愁とを併せ持つ存在ではないでしょうか。

本作にはレイアがナブーへの外交任務に向かう船中で戦死者遺族へ宛てた手紙をしたためる場面があります。彼女は文章作成をプロトコル・ドロイドに任せるという慣習に反し、どれほど膨大な量になろうとも自らの言葉で哀悼の意を綴ることを選びます。そしてその理由を、彼女はこう語ります。

「私の両親は教えてくれた。ある種の事柄には、人間の温もりが必要だと…」
(MY PARENTS TAUGHT ME THAT SOME THINGS NEED A PERSONAL TOUCH ..)

この場面は、自ら前線に立つ闘士であると同時に、多くの部下を死地に送り出さねばならない戦争指導者でもあったレイアの苦衷を端的に表しているのではないでしょうか。彼女は自らの判断によって失われた命の重みを、決して忘れることなく引き受け続けてきた人物であることを物語ります。

その姿はエピソード8冒頭で描かれるディカー撤退戦の勝利を、そして旧友ホルドーの犠牲によって大破した〈スプレマシー〉を見つめるレイアの悲痛な表情とも強く重なります。銀河史に刻まれる「自由を求める者たちの勝利」は、同時に犠牲となった多くの兵たちと、それを苦悩とともに背負う将が流した血によって記されていると言えるのではないでしょうか。

戦死者の命を受けとめ続けるレイア
撤退に成功するも、多くの兵たちの死に疲弊するレイア

本作においてシャラはそうしたレイアの苦衷を察し、少しでもその負担を和らげようとする思いやりを見せ、レイアもまたそんな彼女に対する感謝の念を示します。

しかし、どれほど崇高な大義に支えられていようとも戦いは怒りと憎しみを生み、新たな戦いを呼び込む連鎖を断ち切ることができません。自由を守るために戦う人々も、ときに戦いそのものに心を囚われ、いつしか「戦うこと」が目的へとすり替わってしまう危険を孕んでいます。いかにレイアのような心ある指導者がそのことを慮り、ときに非難の矢面に立ったり独りその重責に喘いだとしても、「戦い」が人間の心を蝕み食いつぶすというそのシステムを改変することは不可能なのでした。

しかしシークエルにおいて、「戦い」の当事者として「戦い」の非人間性に思いを馳せる戦争指導者レイアの苦悩に、その双子の兄ルークがアンサーを提示することになります。

ルークとレイアはそれぞれの立場から「戦争の病理」を味わい、それからの克服を体現する

読みどころ2:ルークが差し出す手

本作ではシャラがまさにその心を戦いによって蝕まれています。彼女は夫ケス・ダメロンとともに反乱軍に身を投じて帝国との戦いを繰り広げつつも、戦いによって互いに疎遠にならざるを得ない関係に、そしてなによりも愛すべき息子ポーとの希薄な絆に懊悩します。

夫ケスは十分に戦い抜いた末に反乱軍からの除隊を希望し、それを認められます。もはや十分に尽くした反乱軍からは身を引き、妻と子とともに家庭生活へ戻ることを志したのです。しかし新たな戦いが始まろうとする中で、シャラは上官の配慮をよそに戦い続けることを選びます。それはもはや彼女自身の「意志」というよりも、戦場に残る仲間たちを置いて自分だけが人並みの幸福を掴むことへの「罪悪感」に近いものでした。シャラの上官は彼女が夫とともに除隊できるよう手筈を整えますが、シャラの心は定まりません。自分が軍を去ることは仲間たちへの裏切りではないかという思いが、どうしても拭えなかったのです。

そこに手を差し伸べたのがルークです。彼は心定まらぬシャラに自分の旅路への同道を依頼し、共に帝国の軍事施設への強襲を敢行。そこに保管されていたジェダイの遺産を奪還します。その過程で、彼女の心の迷いを見抜き、対話を試みるのでした。シャラは語ります。生まれてからほとんど会えていない息子がいること、運が良くても数週間に一時間ほどしか会えない夫がいること、そんな生活に疲れ果てていること。しかし、それを口に出すこと自体が反乱軍を見捨てる行為のように感じられてしまうこと。

それに対してルークは応じます。自分たちが戦っているのは、守ろうとした自由や命のためであり、見届けたい未来のためであるはずだと。そうでなければ何のために戦ってきたのか分からなくなってしまうのではないか、と。

ルークは、シャラが「戦いのための戦い」に身を投じることを諫め、すでに十分戦い抜いた彼女が人並みの幸福を味わう権利を持っていることを思い出させるのでした。

罪悪感に身を焦がすシャラに「戦うべき理由」を思い出させるルーク

ルークは、そしてジェダイは、スター・ウォーズの哲学的側面を代表する存在と言えるでしょう。エンドアの戦いにおけるルーク、そして後のエクセゴルの戦いにおけるレイの活躍は、それぞれが関わる戦争の帰趨に直接影響はしないものの、その戦争の背後に控えるフォースをめぐる光と闇との、より普遍的な言葉を用いれば人々の善と悪との認識をめぐる相克を象徴していると言えるでしょう。そんな物語の精神性を担うルークであるからこそ、物語の実際性を担うレイアとは異なる側面から人々を導く役割が求められ、またそれによって物語上の存在意義を持つと言えるのではないでしょうか。本作におけるルークは、すべての命とつながるフォースに仕え「バランス」を至上命題とするジェダイとして、シャラの心を支配する「不均衡」を糺す導きを与えようとしたのだと、私には思えます。

「ジャーニー・トゥ・最後のジェダイ」としての本作:憎む相手と戦うよりも…

さて、ここからは少し脱線とはなりますが、そんな二人の在り方の違いは本作が導く『エピソード7/フォースの覚醒』ではなく『エピソード8/最後のジェダイ』でもっとも対比的に描かれています。本作は「ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒」というタイトルとは裏腹に、一足早い「ジャーニー・トゥ・最後のジェダイ」とも言うべきテーマの種をも孕んでいると言えるのです。

エピソード8では、ペイジ・ティコやホルドー提督といった人物が大義のために命を落とします。それらは確かに尊く、勇敢な自己犠牲です。しかし非人間的な全体主義を人々に強いた帝国の敗北、そして非人間的な戒律によって自縄自縛に陥ったジェダイ騎士団の滅亡を描いてきたスター・ウォーズという物語が、「大義のために自らの命を捨てる」という非人間的な行為を単純に肯定・称揚する物語であるとは思えません。

本作におけるルークの言葉は「大義のために命を賭けて戦うこと」と「自分自身の大切なものを守ること」のバランスの重要性を説いていました。そのバランスを失った先に待っているのは「大義のために死ぬまで戦い続ける」または「大義のために命を捧げることを善しとする」という帝国が、そして現実世界における軍国主義が奉じるのと変わらない「戦争の病理」だと言えるでしょう。

わが身を犠牲に爆撃を成功させたペイジ
特攻作戦敢行によって敵旗艦に大打撃を与えたホルドー
仲間を救うため命を捨てる覚悟を決めるフィン

「自由のために戦う」ことを掲げて戦場に立った彼らは、本来「生きるために戦う」そして「何ものかを守るために戦う」存在であったはずです。もちろんやむに已まれぬ事情や状況といった諸々の例外はあるとはいえ、少なくとも戦うために自分自身の幸福を、あるいは生命を放棄しすることを肯定または称揚してしまったら、彼ら彼女らの心には何が残るというのか。先にも述べた、多くの「自己犠牲」の果てに掴んだ勝利を前に懊悩するレイアの表情は、まさにそのことを憂慮しているのではないでしょうか。

「憎む相手と戦うよりも、愛する相手を助けるの」

講談社文庫『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』より
戦いで愛する者を亡くしたローズは、自分たちが戦う理由である「生」を愛する者に思い出させる

『最後のジェダイ』においてローズ・ティコが行動と言葉で示したこのテーマを、ルークはその存在をもって私たちに示します。クレイトの戦いにおいて絶望に陥ったレジスタンスの面々の前に姿を現し、誰一人犠牲にすることなく再起の機会を与えたルークは絶望とではなく希望とともに戦うことの重要性を思い起こさせ、希望の依り代として「ジェダイの騎士」たる自分が銀河に帰還し、そして自分の衣鉢を継ぐレイが銀河に再びジェダイの光を灯すのだということを知らしめたのではないでしょうか。そしてそれこそが「戦争の英雄」として伝説視されながら、なによりもあらゆる生命とつながるフォースに仕える「ジェダイ」であろうとしたルークが到達した境地だったのではないでしょうか。

本作はエピソード8においてもっとも対比的に描き出されることになる、ルークとレイア双方の指導者としての資質や在り方、そして背負うものの重みを物語る作品と捉えることもできるのではないでしょうか。

ルークは血を流すことなくファースト・オーダーの攪乱とレジスタンスの撤退に成功する
ルークの帰還、そしてレイの活躍によってレジスタンスの面々は全滅を免れて再起の機会を得る

あとがき:改めて私のスター・ウォーズ観とスピンオフ作品紹介に対する認識について

シークエル三部作はスター・ウォーズ ファンダムに不可逆の分断をもたらした存在という印象が強いものでしょう。その賛否両論の大きな要因は、ストーリーおよびテーマにおける「一貫性の欠如」にあると私は考えています。そして正直なところ、私はそれ以外の観点からのシークエル批評にあまり興味を持てません。「自分たちの観たいスター・ウォーズではない」といったノスタルジー論や「映画として面白くない」といった純粋な映画評論、そしてもちろんポリコレ云々といった思想性を巡る批判についても同様です。エンターテインメント作品にその時代の思想が反映されることは自然なことですし、女性や有色人種、性的マイノリティといった人々が主役の座を占めていく流れも、単なる時代性の表れであると捉えているからです。

私の中でスター・ウォーズはもはや「映画」という枠に収まる作品ではありません。映画作品としてのスター・ウォーズについてはすでに多くの優れた批評家たちが論じていますし、批評の訓練を受けたわけでもなく、畢竟「好み」を語る以上のことができない私のような素人が、そこになにものかを付け加える余地は少ないとも感じています。

なにより私はスター・ウォーズという物語を「優れた映画」ではなく、「優れた神話」として愛しています。ここで言う「神話」とは、単に壮大な物語であるということを意味していません。歴史・哲学・文学といったさまざまなアプローチから読み解くことができ、そして多様な人間の琴線に触れ得る、普遍的なテーマを内包した物語群として愛しているということです。したがって私がスター・ウォーズ作品に求めているのは手に汗握る「面白い話」というよりも、多様な解釈を許容する豊かな文脈に満ちた「興味深い話」ということになるのです。このようなスタンスは決して一般的なものではなく。むしろ正道に反する類のものであることも自覚していますが、そんな私がスター・ウォーズを論じる際に注力するのは、「そこで何が起こっているのか」を明らかにし、「どのような読み解きが可能か」を吟味し、「それがどのような意味や意義を持つのか」を考え、「それがどのように観客または読み手の心に響き得るのか」を探ることです。

シークエル三部作についても、というよりシークエル三部作でこそ、私のこの姿勢は変わりません。映画としての面白さはさておき、物語として何が起こり、何が語られているのかを主眼に評価を積み上げていきたいと考えているのです。ともあれ、スター・ウォーズはプリクエル三部作以降「何が起こっているのか」が非常に掴みにくい物語になってしまったと私は感じています。もちろん映画本編を観るだけで、作品中の出来事の因果関係を「理解」することはできます。しかし、それに「納得」できるかと問われれば、私個人としては否と答えざるを得ません。言葉を選ばずに言えば、アナキンのシス転向を始めとする様々なトピックに対して「言っていることは分かるが、説得力には欠ける」というのが、プリクエル以来の私のスター・ウォーズ映画本編観です。ジョージ・ルーカスはかつてスター・ウォーズをタペストリーに例えましたが、多くの人物と事件が並行して描かれるがゆえに個々の事象への掘り下げが浅くなり、感情移入が難しくなっていると思えるのです。口さがないことを言えば、私はアナキン・スカイウォーカーの追い詰められた心情や彼をめぐる人間関係の機微、そして独裁制に至る混迷を極める銀河情勢を濃密に描いた『エピソード3/シスの復讐』のノベライズや、アニメシリーズ『クローン・ウォーズ』といった補完作品が存在しなければ、今もスター・ウォーズのファンであり続けていたかどうか分かりません。

だからこそ私は、スター・ウォーズ フランチャイズにおいてスピンオフ作品群の存在が不可欠であると考えています。ときに映画作品が「スター・ウォーズらしさ」を置き去りにしてでも革新的な跳躍によってフランチャイズの「未来」を指し示し、小説・コミック・アニメ・ドラマ・ゲームといった各種メディアのスピンオフ作品群が「現在」と「未来」の間に横たわる空白や断絶を埋めて行く。映画が示した未来へ至る道を、スピンオフ作品群が石畳となって舗装して行くのです。

とりわけシークエル三部作において、このスピンオフの重要性はかつてないほど高まっていると言えるのではないでしょうか。約三十年という長い物語的空白期間が存在すること、そして創造者ルーカスからフランチャイズを引き継ぎ、紆余曲折の果てに「見切り発車」的に展開した結果として、ストーリーやテーマに一貫性を欠く構造となったことで、オリジナル三部作とシークエル三部作の間を、さらにはシークエル各作品間を埋める作品群がこれまで以上に必要とされていると思えるからです。もちろんそれらは映画本編の腰の弱さを補うための、所謂「後づけ設定」によるフォローアップに過ぎないというのも事実でしょう。

しかし私自身、プリクエル三部作もまたスピンオフによる補完がなければ納得しがたい密度の物語であったと感じているため、「後づけの必須化」はスター・ウォーズという物語の性格がより明確になったに過ぎないとも考えています。プリクエル以降「未熟児」として誕生し、スピンオフ作品群という「保育器」で成長してきたスター・ウォーズ フランチャイズ。それが今後も映画による「未来への跳躍」と、スピンオフによる「橋渡し」を並行させながら拡張されていくことを私は期待しています。

だからこそ、そうした「未来への橋渡し」を担うべき多くの作品が未邦訳のまま取り残され、日本ではごく少数のファンにしか触れられていない現状は何としても打開されるべきだと考えています。何を語るにしても、その前提となる物語視点における銀河情勢や各キャラクターの人生行路、メタ的視点におけるフランチャイズ展開の流れの共有なくして、現今スター・ウォーズを論じること自体が困難ではないかと考えているからです。

よって現在の日本ファンダムにおいて未邦訳スピンオフを紹介し、その内容を吟味し、そこから読み取れる物語的意義や普遍的意義を考え、共有することは現代のスター・ウォーズ フランチャイズを見つめる上で意義深い行為であると思うのです。

参考資料「ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒」(未邦訳含む/物語作のみ)

コミック

『Shattered Empire』:本記事でご紹介したコミック。エンドアの戦い直後の帝国軍の不穏な動きと反乱軍の戦いを描く。

『Star Wars Special: C-3PO』:映画本編直前を舞台にシークエルで強い印象を残した3POの赤い右腕の秘密に迫る。「ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒」の一環として計画されたものの、刊行延期にともない本編公開翌年の2016年の刊行となる。

小説

『アフターマス』:エンドアの戦いからジャクーの戦い、銀河内戦終結までの詳細を描く「ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒」の中核。邦訳は第一巻のみ。

ヤングアダルト小説

『Lost Stars』:反乱軍と帝国軍とに袂を分かった幼馴染たちの哀しい宿命を描く物語。

マンガ版『ロスト・スターズ』:2017年よりLINEマンガにて連載されたコミカライズ作品。

ジュニア小説

『反乱軍の危機を救え! レイア姫の冒険』:レイアはレジスタンスの面々の士気を高揚させるための自伝口述を依頼され、エンドアの戦い以前に巻き起こった自身の活躍と葛藤を語る。

『おれたちの船って最高だぜ! ハン・ソロとチューバッカの冒険』:伝説的宇宙船〈ミレニアム・ファルコン〉についての噂話に興じるならず者たちが耳にする、ある興味深い物語。

『ジェダイの剣術を磨け! ルーク・スカイウォーカーの冒険』:ヤヴィンの戦い直後、ルークはフォースに導かれて往年のジェダイ聖堂の遺跡を訪れる。

短編小説

『The Perfect Weapon』:マズ・カナタの酒場に屯するスパイの一人であったバジーン・ネタルに焦点を当てた小品。

『All Creatures Great and Small』:奴隷商人の襲撃に怯えるジャクーの小村で、商人ボバージョは「小さな者たちの偉大な功績」について物語る。

『The Crimson Corsair and the Lost Treasure of Count Dooku』:マズ・カナタの酒場で異彩を放ったキャプテン・イサノはドゥークー伯爵が遺した秘宝を狙う。

『The Face of Evil』:整形手術を専門とする闇医者スロンバとラパロは、とある厄介な依頼を受ける。

『High Noon on Jakku』:ジャクーのニーマ・アウトポストで強盗事件が発生。町の治安を守る自警団の一員ズヴィオはその捜査に従事する。

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